薬研堀不動院② 七味唐辛子
「薬研堀」といえば対の言葉はやはり「七味唐辛子」でしょう。
今でも祭りの屋台で売っているのをよく見かけます。
しかし、昔ほど上手な香具師(やし)の口上は聞けません。
先ず最初に入れますのは、武州川越の名産・黒胡麻が入ります。
続いて入れますのは、紀州は有田のミカンの皮、
これを一名陳皮と申します。
続いて入れますのは、江戸は内藤新宿八つ房が焼き唐辛子。
続いて入れますのは、東海道静岡は朝倉名産粉山椒、
四国高松の名産は唐辛子の粉、大辛中辛を決めて参ります。
大和の国のケシの実が入ります。
最後に野州日光、麻の実が入りまして七色唐辛子。
大辛に中辛、家伝の手法。お好みに応じて調合いたします。
はいどうぞ!
『江戸売り声百景』(宮田章司 岩波書店)
香具師(やし)の口上を寄席芸にまで高めたのは坂野比呂志でした。
「江戸っ子は七味とはいわねぇよ、七色だよ…!」
こう前置きをして口上を始めた坂野の姿が目に焼き付いています。
そして、いなせな語り口、いいねぇ、ほれぼれします。
(今村恒美画、『香具師口上集』創拓社出版より)
『香具師口上集』には付録として坂野のCDが付いています。
1982年に文化庁芸術祭大賞を受賞したのを記念して、
浅草・木馬亭にて演じた録音が73分たっぷりと聞けます。
映像もあったはずなのですが、見つけられませんでした。残念!
ところでなぜ「薬研堀」というと「七味唐辛子」なのでしょうか?
この地に七味唐辛子の老舗・中島商店があったからです。
その歴史は古く、創業は寛永といいますから江戸の初期でした。
「この地域には医者や薬問屋が多く、別名「医者町」で通って
いたと言われ、また、このような場所で生まれた名前なのです。
昭和十八年に現在の浅草に移りました」(「店名の由来」より)
戦前、薬研堀に住んだことのある92歳の古老に伺ったら、
「そりゃあ、おめぇ、“とんがらし”は薬研堀だ。
“なかじま”の本店はまだあるんじゃねぇかな……?」
と懐かしんでおりました。
この「薬研堀」という名称、本来は地名ですが、
薬研堀不動院くらいにしか残っておりません。
味わいのある名称なので、薬研堀不動院、
もう少し知られてもいいと思うのですが……!
「がんばれ! 薬研堀不動院…!!」
手を合わせ、お願いしている立場にもかかわらず、
思わず身びいきで言ってしまうのでした。
今でも祭りの屋台で売っているのをよく見かけます。
しかし、昔ほど上手な香具師(やし)の口上は聞けません。
先ず最初に入れますのは、武州川越の名産・黒胡麻が入ります。
続いて入れますのは、紀州は有田のミカンの皮、
これを一名陳皮と申します。
続いて入れますのは、江戸は内藤新宿八つ房が焼き唐辛子。
続いて入れますのは、東海道静岡は朝倉名産粉山椒、
四国高松の名産は唐辛子の粉、大辛中辛を決めて参ります。
大和の国のケシの実が入ります。
最後に野州日光、麻の実が入りまして七色唐辛子。
大辛に中辛、家伝の手法。お好みに応じて調合いたします。
はいどうぞ!
『江戸売り声百景』(宮田章司 岩波書店)
香具師(やし)の口上を寄席芸にまで高めたのは坂野比呂志でした。
「江戸っ子は七味とはいわねぇよ、七色だよ…!」
こう前置きをして口上を始めた坂野の姿が目に焼き付いています。
そして、いなせな語り口、いいねぇ、ほれぼれします。

(今村恒美画、『香具師口上集』創拓社出版より)
『香具師口上集』には付録として坂野のCDが付いています。
1982年に文化庁芸術祭大賞を受賞したのを記念して、
浅草・木馬亭にて演じた録音が73分たっぷりと聞けます。
映像もあったはずなのですが、見つけられませんでした。残念!
ところでなぜ「薬研堀」というと「七味唐辛子」なのでしょうか?
この地に七味唐辛子の老舗・中島商店があったからです。
その歴史は古く、創業は寛永といいますから江戸の初期でした。
「この地域には医者や薬問屋が多く、別名「医者町」で通って
いたと言われ、また、このような場所で生まれた名前なのです。
昭和十八年に現在の浅草に移りました」(「店名の由来」より)
戦前、薬研堀に住んだことのある92歳の古老に伺ったら、
「そりゃあ、おめぇ、“とんがらし”は薬研堀だ。
“なかじま”の本店はまだあるんじゃねぇかな……?」
と懐かしんでおりました。
この「薬研堀」という名称、本来は地名ですが、
薬研堀不動院くらいにしか残っておりません。
味わいのある名称なので、薬研堀不動院、
もう少し知られてもいいと思うのですが……!
「がんばれ! 薬研堀不動院…!!」
手を合わせ、お願いしている立場にもかかわらず、
思わず身びいきで言ってしまうのでした。