ほのぼの ぽぽ の みっかぼうず日記 -2ページ目
自転車活用推進研究会 in関西の

「シェアサイクルでオーサカ革命」

行ってきた! 肩に力が全然入ってないのに、ここまでソーシャルビジネスで回すって、スゴイ。年商7000万。どうやったらこんなこと、できるんだろう? 

やっぱり講演まとめを書きたくて、またまた他のことができなかった(>_<)

私の理解の範疇でのまとめなので、そこだけ注意(^^ゞ

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【2015第5回自転車活用研究会In関西】
「シェアサイクルでオーサカ革命」


司会)人生やめちゃおうと思ってしまうオジサンの気持ちがわかる女性って、そういない。
ホームページも全部読んだ。とても共感して寄付した。1日100円から支援できる。

自転車にはあまり触れないが、自転車を使って、社会からこぼれたおじさんをもう一度すくい上げようというプロジェクト。

川口)ホームドアの川口です。
ホームレス状態を生み出さない日本へ。ホームレスから脱したいと思ったら脱せる社会へ。
自転車のことはあまり知らない。ハブチャリをやり出して、ようやく自分の自転車マナーが少し良くなった。
自転車の話は少ないけど、聞いていただければ。

14歳の時にホームレス問題に向き合う。19歳でホームドア立ち上げ。いま24歳。

釜ケ崎。新今宮駅から南側。通称あいりん地区。

もともと高石市に住んでいた。環状線の真ん中の学校だったから、乗り換えて電車通学。新今宮駅で乗り換える。
ホームレスがすごく多かった。
ある日、一つのことに気づく。
友だちは一つ手前の天下茶屋で降りて地下鉄に乗る。遠いし面倒臭い。なのに、なんで?と聞いたら、お母さんに「新今宮乗り換えは危ない」と言われたと。
驚いて、私も母親に「私も天下茶屋から乗り換えたい」と言った。通学が1人だと友だちいないの?みたいに思われた。友だちと一緒に通いたかった。
すると、母親は「うちはお金がない。地下鉄は高い。環状線は早いし安いし」と。でも、「新今宮駅から下には降りるな」とも言った。

むしゃくしゃして、なんでなのか、自分で調べた。

日本のスラム。炊き出しを毎日やってる。よし、じゃあ、ちょっと炊き出しに行ってみようと。それがきっかけ。

ボランティアとか偽善だろと思ってた。炊き出しでおにぎり握ってたら、「孫みたいな年齢のあなたから、命の綱であるおにぎりを受け取る野宿者の気持ちを考えてほしい」と、見透かされるように言われた。

私自身、もともとホームレスは嫌いだった、いけすかない女子高生。もっと勉強してたらこんなことにならない。だから、頑張ってない人のほうが悪いと思ってた。

せっかく炊き出しに来たから、「おっちゃん、もっと勉強してたら、こんなとこ来てないん違う?」と、聞いた。

おっちゃんは、「うちに勉強机なんか、なかった」と言った。親から「畑を手伝え」と言われていたと。

私は勉強するか、しないか、選べる立場だったと気づいた。おっちゃはは、そんなの選べない環境だった。

貧困の連鎖。若い人は児童養護施設や母子父子家庭で育つ人が多い。ホームレスは非正規雇用、日雇い労働出身者から陥る人が多い。

釜ケ崎は日雇い労働者を集めるために行政が作った街。

日本全体の非正規雇用の割合は4割。日雇いは2%を切る。日雇いのほうがホームレスになりやすい。

非正規雇用がなければ成り立たない社会。正規雇用の椅子は限られてるから、誰かが非正規にならざるを得ない。それでホームレスになりやすい。それは本当に自己責任なのか。

日雇い労働者は3人に1人が亡くなると言われた時代もあった。原発メンテナンスなどもやっている。
原発は必ずメンテがいる。電力会社がやるが、社員ではなく日雇いが好んで使われている。解体作業など危険な場所が多い。だから、ホームレスには、日雇い労働での事故や怪我で障害を抱えている人も多い。

では、ホームレスになったらどんな生活になる? 年間213人が路上で亡くなる。

「楽だからホームレスになったんじゃないの?」と思ってたから、この数字にはびっくりした。本当になりたくてホームレスになったのか?

炊き出しするまで、「ホームレス」という人種があるかのように言っていた。会ったことも話したこともなかったのに、勝手に決め付けていた。

自分にも何かできることはないか?調べたら、ある新聞記事が目にとまった。「弱者狙い犯行激化」 寝ているホームレスにおしっこをかけたり、手足を縛って川に放り込んだり。少年の供述を読んだ。「俺たちはゴミ掃除をしたのに」と言っていた。

「なんてひどいことを言うのかな」と思ったけど、昔の自分が重なった。「自業自得」「汚い」「怠け者」と思ってた。少年たちとどこが違うのか?

問題を知る機会が、あったか、なかったか

だけ。

知ったからには責任がある。
知ったからこそ何かしなければ。

同世代に伝えるのがいい。同世代が言うのがいいと思った。全校集会で作文を読ませてもらった。

私は真面目な生徒じゃなかったから、「川口さん、そんなことするの??」と、先生からは驚かれた。

正直、評判良くなかった。全校集会は昼寝の時間。みんな寝てた。起きてた友人も、「どうせ自業自得だ」と言った。

がっかりした。

ホームレスは男性が7割。女性は貧困になると水商売に行くから、ホームレスには男性が多い。

私がホームレスになる可能性はない。自分が何もしなかったら、凍死や餓死、襲撃も変わらない。でも、ちょっと何かしたら、変わるんじゃないだろうかと思ってた。

話してダメだったので、書いて伝えようと思った。新聞を作ってみた。字が汚いと言われたけど。

新聞を発行してると、一人、また一人と、炊き出しに参加する人が増えてきた。

自分の学校だけじゃなくて、まわりの学校の生徒100人ぐらい招待したりした。

親善大使にまでなって、海外にも行った。

でも、卒業が近づいても、状況は何も変わってない。

夜回りしてたら、「そろそろホームレス脱出したい」と言ってくれる人がいた。でも、「こうすれば脱出できる」という方法がない。答えることができなかった。

その方は、そうこうしてるうちに亡くなってしまった。悔しくて。

自分の活動の前後で凍死の人が減ったわけでもない。ホームレスから脱出できる人がいたわけでもない。
自分一人で社会にいいことしてると思ってるだけじゃないか?

少しでも社会を変えていくことが学びたい。大阪市立大学に進学。市大は日本でホームレス研究が一番活発。

それで「ホームドア」を立ち上げたのが19歳。

ホームレス問題、なんとかしたいと思っていたら、先輩に、「ニーズの代弁者になりなさい」と言われた。「おっちゃんたちのニーズを周りに伝えなさい」と。

それで、朝食を食べてもらおうと釜ケ崎の喫茶店を朝借りて、モーニング喫茶を始めた。朝7時から10時まで。大学は2限目から行った。

これが困難にぶち当たる。大学生が日替わりで運営して、当初は7時オープン。でも、大学生は朝に弱かった(笑)

とうとう9時にオープンしたり。おっちゃんたちは朝からずっと並んで「はよ開けてんか」。1年続けた。

ホームレスは、失業が一番のきっかけ。
なら、失業保険を受ければ?

失業に、さらに2、3個要因が加わるとホームレスになる。

例えば、失業と同時に寮を追い出されると、家も失う。家を探すだけで時間もお金もかかる。また、家族のない人は、次の就職も難しい。
いろいろな要因が重なり、貯金を失ってホームレスに。

脱出は、生活保護のみ。行政に相談に行くと、うまく受けられなかったり、バッシングが多くて精神的ダメージを受けたり。

生活保護を受けていると、行政からは「仕事探せ」と言われる。でも、履歴書の空白が長い。「ブランク何してた?」と聞かれて「生活保護受けてた」と答えると、即アウト。

ホームレスで缶集めをして何とかやっていくほうが自立じゃないか?ということで、またホームレスに戻る。みんな、生活保護より、1日10時間、自転車で走り回って缶を集めて、たった1000円にしかならなくても、働きたい。

私が11年活動していて、脱出した人は一人も見たことがなかった。スーツも履歴書も写真を撮るお金もない。


ホームドアは3つのことをやる。

ホームレスになりたくないと思ったら、ならなくて済むように、入り口を塞ぐ。脱出したいと思ったら、すぐ出られるように出口づくりをする。そして、社会の啓発。

まず出口作り。
ホームレスになるときは、失業、年齢、学歴、家庭、住居、病気、借金、犯罪と、一つひとつがだんだん重なっていって最終的にホームレスになる。

なのに、脱出の時は、これらを一度に解決しないと脱出できない。

まず住居なのに、日本では家を借りるのに保証人、住民票、保証金が必要。前に住んでるところがないと家が借りられない。

ホームレスは、知的障害、身体障害の割合が高い。

脱出のために、ステップを作ろうと。

お金をあげるとか家を貸すとかじゃなく、少しでも給料を払う。そこから少しずつ貯金する。

中間的就労をホームレスの人たちのために作れないかと。

ホームレスの人が得意なことをしたい。

彼らは自転車修理が得意。
ホームレスの6、7割が働いている。缶集め。10時間集めて1000円。集めに行くのに必需品は自転車。パンク、チェーン外れ。お金がないから自分で直す。

これに着目。ハブチャリが生まれた。
どこで借りても返してもいい、コミュニティーサイクル。
自転車問題解決のために欧米で流行っているのを、大阪でできないかと。
パリでは年間22万人使われた。
国内でもNTTdocomoなどがやっている。

シェアサイクルの担い手はおっちゃん達。

大阪の2大問題、放置自転車とホームレス問題を一挙に解決!おっちゃん達は、支援の対象だったが、支援する側に!

当時19歳。どうやってやったらいい?

行政にお願いに行った。ないツテをたどりながら。たらい回し。失敗。

行政ダメなら企業。カフェ、軒先貢献にお願いに回った。
ことごとく失敗。ただの女子大生が飛び込み営業。ラブホまで営業したが、全然ダメ。

団体名がややこしかった。「ホームドア」と言う名前、不動産みたい。怪しい。しかも女子大生。

自転車をずっと置いてもらうのが無理なら、1週間でいいと。すると、1週間ならイベントでやってもいいと言ってくれるところが出てきて、ゲリラ的にやった。みんなボランティア。放置自転車をリサイクルして3000円ぐらいで売ったり。
使ってくれた人の評判がとても良かった。驚き。こんなにニーズがあったんだと。

大学3年の夏休みだった。就職活動時期。この実験が終わったらみんな就活。わたしは一人? やっていけるの?

営業何百社。社会人になってからのほうがいいんじゃないかと思ったり。

でも、いろんな人に協力してもらった。私の思いに対して協力してもらったのに…。

使ってくれた人が「いい」と言ってくれた。それが自信になった。杖ついてきたおじいちゃんが「おまえ、俺がやろうと思ってたのに!」と。なんと盗作疑惑かけられた(笑)それなら先にやっちゃおうか(笑)

メデイアに取り上げられ、1箇所申し出があって、やろう!と決めた。
4人のおっちゃんを雇う。面接、研修。3ヶ月ぶりぐらいに人と話すおっちゃん。100社も面接に行ったのに、「いらん」と言われたと泣き出したおっちゃん。水色のエプロン着けて、ハブチャリ始めた。6年目にしてようやくホームレスの人を雇えた。
復権コンサルタンツの方にも自転車を貸してもらうことができた。

不思議なご縁。

せっかく並べたのに、1台いくら?と聞かれた。きれいな自転車だったので、売り物と思われた。レンタサイクルの認知度も低いし。

沖縄出身のおっちゃんが、拾いもんでつくった看板。子どもの頃に両親がなくなり、おばさんの元に。虐待受けた。専門学校でデザインを学ぶけど生かせず。50歳の時に正社員の仕事を失う。非正規になり、日雇いになり、50歳を過ぎるとほとんど仕事がなくなり、ホームレスになりそうになった。それでも、おばさんには頼りたくないと。うちに来られた。

35年経って初めて専門学校で学んだことが活かせた!と。

孫のような年齢の私たち、おっちゃんを雇うなんて、いやじゃないかとビクビクしてた。
面接後、おっちゃんが、「また結果教えてや」と。「社長教えや」と。自分だと言い出せなかった。
拠点できるたびに看板を作ってくれた。「わしを呼び出す呼び鈴」だと言った。
ハンガーでチャリの看板を作ったり。

ホームレスから脱したい人は、ポテンシャルが高い。

大阪ガスさんの支援が日経にも載った。広報価値あるわ!と喜ばれた。

軒先貢献に貢献してくれる企業にも喜んでもらえたら。

寄付や協賛の自転車をメンテする修理部門、貸し出しをする部門、おっちゃんの得意不得意に合わせて提供できる。

精神障害、知的障害の人は一人でコツコツのほうがいい。

区役所、ホテル、大阪市内ならどこで借りても返してもいい。1時間100円。現在8カ所で展開。

この方はガードマン。持病悪化で左目失明、失業。貯金使い果たしてホームレスに。

蹴られたり、空きカン投げつけられたり、しょっちゅう。一度落ちると抜け出せない現実。自分は世の中にはいらんもんや、と諦めてた。

この方は10月からハブチャリで働いてる。警備会社勤務。不況で日雇いに。家を借りることもできなくなりホームレスに。6年。職安行っても、電話でアウト。面接行けたら御の字。何回死のうと思ったか。生活保護受けたが仕事は見つからず。

先が見えず、働く気力も無くなった。路上生活よりも孤独になった。

そんな時、区役所からハブチャリを紹介。

頼られているからには期待に応えたいと。半年。いずれは自立を目指す。

とにかく働くことが生きる力になると。仕事をしてる時が一番楽しいと。失くしたくない、いまの陣地。

ハブチャリで、接客、面接の練習。就職を果たした1人。
履歴書の空白がネック。生活保護というと断られる。
引きこもりになる。
ハブチャリで人と接し、自信を取り戻す。運送業で就職された。

ハブチャリで培った人との接し方。

運送会社の社長さんは、「完璧に近い応対です」と言ってくれた。
応援してくれた仲間のためにもずっと働き続けたいと。僕がうまく就職してたら、他のハブチャリの人たちの励みになると。
ハブチャリ以外にもいろんな掛け持ちを提供することでバリエーションを作ってる。
多い人だと15万円の給料を渡せるようになった。

3、4年前、初めておっちゃん達にお給料渡したら、お金を握りしめて走り出した。辛ラーメンを3ダースも買ってきた。

「なんで玉出で買わへんの?」と聞いた。

生活保護を受けてた人。お金を好きに使えない。でも、自分の働いたお金は自分の好きに使っていい。だから、事務局にお礼を!と辛ラーメンをたくさん買ってきた。

そのカップラーメンの山を見て、他のおっちゃんにも「この子たち、なんてカップラーメン好きなんだ!」と思われて、親近感を持たれて、カップラーメンばかり差し入れになって、3kg痩せた。栄養失調だったかも?

ある時は、7人がみんな誕生日ケーキを買ってくれて、7個もケーキを食べた。みんな「こんなんするの、わしだけやで!」と言いながら。

市大4年には市大の中や区役所の中にもハブチャリ拠点ができた。

ただ、区長公募制で区長交代して、ことごとく協同は潰れたが、また少しずつ増やしている。

ハブチャリのおっちゃんを紹介してほしいと言ってくる、人手の足りない企業が増えてる。すぐやめてしまうのは困るからと。

この人は日系ブラジル人。移民系の枠で仕事をしていたが、60歳を超えて、職を失い、生活保護。
漢字は読めない。しかし、常に真面目。型板を抜く会社に就職して2年目。社長に聞いたら100点満点以上だと。

ハブチャリきっかけに、次の仕事につながっていく。

19箇所でハブチャリ展開。アメ村にも展開。

もう運べないぐらい大盛況。

どうやってお客を増やしたか。
大阪に住む外国人を集めて、大阪の面白いスポットを探した。大阪オタクマップ。大阪オタクインフォメーション、英語版、中国語のホームページもつくった。スタッフ待機。

ハブチャリは、紙ベースなのでずさん管理だが、登録証で利用割合は把握してる。観光客増えている。
累計1万人を超えた。

中国の人が増えている。「大阪」「コミュニティーサイクル」で検索してやってくる

傘のリサイクル販売も始めた。リメイク、内職の単純作業で仕事を増やす。買ってくれる人より、寄付してくれる人が喜んでくれている。傘で事務所が溢れてる。

民間企業からも仕事をお願いされたり、行政の自転車対策でハブチャリとコラボ。サイクルサポーターと就労支援がうまくいく。夢の競演は、またもや区長交代でなくなったが。

働くおっちゃんに、ホームドアを居場所にしたい。支援の講座も始めた。
金銭管理講座とか、調理実習とか、恵方巻きパーティとか。

この人はグランフロントでホームレスしてた人。いい大学出て、支店長もしていたのに、両親介護で田舎に戻る。老人ホームに預けられず、貯金を崩しながら介護して、その後、亡くなり、ようやくリフォーム会社に就職したが、会社が夜逃げ。ネットカフェ難民になり、ホームレスに。


グランフロントは、デザイン重視でホームレス対策ができてなかった。そこにホームレスが溢れてた。

ハブチャリで4ヶ月働いて、就職できた。

路上で寝るのは勇気がいる。襲撃されるのでは、と、熟睡できない。就職して部屋を借りて、「8時間眠れた!」と言っていた。ジーンときた。

「&ハウス」という施設を作り、夜は眠れないけど、昼寝したり、ラーメン作ったりする。

170人以上がハブチャリで働いている。7人のうち4人は元おっちゃん達。

ホムパト夜回り活動で、寄付で買ったものを持って回る。80人ずつぐらい担当して3コース。ホームレスの人は300人ぐらいいる。

「そろそろ脱出しない?」と提案するようにしてる。「こんな仕事がありますよ」と。
毎月第二、第四火曜日にやってる。
ホームレスのおっちゃんたちも一緒に夜回り。

ホムネットは、ホームレス入り口封じ。ネットカフェの入り口に貼ってもらってる。ネカフェのホムペにバナーも張ってもらってる。週に5人ぐらい相談に来る。

8つの活動。

宿泊できるとこを提供したい。
もしあと残り1万円なら、皆さんは何を考える?
何日食べられるだろう?

おっちゃんたちは、あと何日ネカフェに居られるだろうかと考える。

だから、ホームレスになりそう、と思ったら、その時に、あそこに行ったらなんとかなるというところを作りたい。

まずは5月に3部屋。

よくもらう質問。「なんでそこまでできるのか?」

問題を知ったからには知ったなりの責任がある。知ったからこそ、何ができるのかを考えてきた。

きょうから、みなさんも、知った側として、何ができるだろうと考えてほしい。

話すだけでもいい。調べるだけでもいい。余裕のある人は、ぜひボランティアにも。

サポーター制度もある。

ホームレス支援というのは、単にサポートするだけの活動ではない。人生の保険。誰でもちょっとしたことでホームレスになる可能性がある。

挑戦や失敗が許容される社会を。
誰もが何度でもやり直せる社会へ。
質問)コミュニティーサイクル、ポート数をもっと増やさないのは、なぜ?

川口)紙の管理だから。8拠点で限界。チャリがどうなったかよくわからない。

司会)個体管理ができてないから、間違って持って帰ったりする人もいる。

コミュニティーサイクル、個体管理ができてないと、世界中で全部失敗した。(自転車という)ゴミを撒き散らすだけになった。

311で被災地に自転車送った。野宿しながらいく。いく先々でパンク修理しながら行った。津波でいろんなものが転がってて、すぐにパンクする。

災害時は自転車が最初に動く。バイクは瓦礫を乗り越えられない。自転車は担いでいける。

60代のお父さんたちがヒーローになった。パンクが直せるから。

質問)整備不良のトラブルは?

川口)ない。スタッフも整備ができる。貸す前にもちょっとチェツクしてる。
いま、80台ぐらいある。

質問)自転車の供給は? 寄付は増えてる?

どこもバイクシェアは大変。
個体管理が面倒臭い。登録が一番難しい。充電の手間も増えるので、人手は必要だから仕事は増えていいけど。
企業のCSRで個体管理をやってくれるといいな。

質問)軒先貢献先は増えそう?
消えたポートは?

川口)閉じたところは、ホテルが潰れた、ホテル経営権が変わって無くなった、区長が変わった。運営上のトラブルで無くなったものはない。

担当者が共感してくれて始まるので、人が変わるとパッションが伝わらない。

事務所の移転で潰したことはあるけど。

司会)「どこに拠点を置いたら儲かるか」ではなく、「協力してくれるところはどこか」で探していく。モチベーションが違う。

川口)「ここでやってほしい」という申し出はあまりない。ただ、8拠点で利用者多くて、このままではパンク。
アメ村の拠点はビッグステップのオーナー。ビルの北側。
あと、本町駅前と大阪駅前にも置きたいんだけど。

大阪ガス以外はおっちゃんたちは立ってない。ビルの管理人さんとかが無償でやってくれてる。

司会)なんでこれが東京でできないか。例えば東京にある森ビル、港区のビルの管理しかやらない。三菱地所、三井不動産、三井トラスト。支援サイクルの場所を貸せと言えば。

日本の問題は、シェアサイクルがパブリックでないから、公共の場所を貸せない。

パンク修理はコストがかさむ。後輪だけでもポリマーのタイヤにするとコストがぐっと下がる。

東京はシゲ王という会社がある。新聞配達に使ってた。修理のチームを作ったら、うちも、うちも、と、他社からも修理の依頼が入って、独立部門になった。

以上
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もう少しあったけど、私も質問して、記録取れず(^^ゞ

年商7000万円。うち、寄付は2%のみ。ホームレス支援というのは社会福祉のなかでも寄付の集まりにくい分野だそう。また、行政の補助などは、ほぼゼロ。受けられるものなら受けたいが、と言われていた。つまり、完全に事業収益で回ってるNPO。
「非営利」というのは、誤解が多いけど、「稼いではいけない」「利益を上げてはいけない」というものではナイ。上げた利益を配当してはいけないだけ。全部事業に回すのは認められている。だから給料も払っていい。
日本人は、この「稼いで回して公益事業をする」のが下手。公益は無償しかダメと思い込んでる。

でも、時代は変わりつつあるなと、頼もしかった(*^^*)