死に際
死に際ってなんだろう、とか本気で考えました。
尊厳死についての議論が紛糾することからわかるように、
死ぬときは潔く死にたいという意見には賛否両論かもしれないけれど、
歩けなくなってしゃべれなくもなって、
人の助けがなくては生きていけさえしないのなら、
自分はいっそのこと死にたいと思ってしまう。
生にしがみつくのが見苦しいとはまったく思わない。
ただ羞恥心だったり自尊心が人一倍強いのかもしれない、
今自分の力でできていることが他人の力を借りなくては
できなくなったとき、それに耐えられない自分が想像できる。
自分が生まれてからずっとそばにいた身内がなくなることは、想像すらできない。
そんな状況に自分が耐えられるかもわからない。
どう自分はその事態に反応しているのかもわからない。
泣いているのか、呆然としているのか、現実を受け入れられないのか。
ブログで伝えたいこと。ブログからもらっていること。
少し考えて、ブログの方向性を修正することとしました。
ブログの記事の内容を次のように大きく2つに分けようかと。
① ブログ立ち上げの趣旨に添い、
行政で、県庁で働く一職員の立場から、
現場で働いているからこそわかる「公務員とは何か」をお伝えしていく記事。
組織の視点に染まっていない新人公務員が
発信するからこそ伝えられる何かがあるのでは、と思っています。
② ①で意図するような社会的な意義の色合いは薄く、
あくまで自分のために書く色合いが強い記事。
ブログが日記であるとするともともとブログとはこういうものなのかもしれませんが、
(ブログの定義とかよくわかってないけれど)
今日こんなことあった、こんなこと思った、こんな人いる、こんな本読んだなど、
を書いていく予定です。
日記を書いていろいろと気持ちとか経験とか整理する効用は
侮れないらしいですし、ブログによって一日を振り返ることで
ストレス解消、というか日々を充実させながら暮らしていく一助になってくれるのかな、と。
特に今までと記事とかが大きく変わるということはなさそうですが、
以上の方向性を自覚しておくことが大事なのかな、という気がしています。
①ブログを通して伝えたい何かがあったこと、
②ブログを通してもらっていることがあったこと。
この2つを改めて整理して認識できたことが大きかったかな、と。
趣旨とか方向性とか
最近は記事を更新することが目的になって、
現役の公務員として働き、行政の現場に身を置くものとして
行政に対して思うところを新人目線でお伝えする、
というブログの趣旨を忘れつつあるような。
メディアを通してみる公務員像ではなく、
現場で働いているからこそ伝えられる何かをブログで
発信していくはずだったのですが。
何かその趣旨とは反して
ただ日常に思うことをだらだらと書いている日記が多くなっているような気がします。
明確な意図なしにただ吐き出す言葉に、
あまり人をひきつける魅力は生まれないかなぁ。
少しブログの方向性を考え直す時期に来ている気がします。