こんにちは。
サーファー社長の南澤です。
いつも御覧頂き、ありがとうございます 。

 

 

今日は読書ネタです。

 

「ブラジャーでビルを建てた男」

 

ワコール創業者、塚本幸一を

揶揄する言葉である。

 

 

 

 

皆様、京都にあるワコール本社ビルを

見た事がありますか?
 

 

 

 

 

こちらは東京麹町のワコールビルです。

 

 

 

日本一、奇麗な下着メーカー、

これが、私がワコールにもっていた、

企業イメージであります。

 

 

ワコールの企業理念

世の女性に美しくなって貰う事に

よって広く社会に寄与する事こそ
わが社の理想であり目標であります。

 

企業理念も、女性の美しさに

こだわっていますね。

 

 

私は「貫く」

を読むまでは、ワコールの創業者は、

京都の和服屋の、お坊ちゃまかなにか?

と思っていました。

 

 

創業者 塚本幸一が、

「インパール作戦」

の生き残りなんて想像もしていませんでした。

 

太平洋戦争の後期の1944年3月から7月まで、

インド北東部の都市インパールを攻略するために

日本軍がおこなった作戦を「インパール作戦」といいます。

日本軍における作戦名は「ウ号作戦」です。

インパールはイギリス軍の拠点となっていて、

日本軍はここを征服できれば敵の戦力を

大幅に弱体化できると考えていました。

しかし、2000m級の険しい山岳地帯を転戦する

過酷さに加え、重い装備、大量の雨、マラリアや

赤痢などの感染症の蔓延などにより、

約10万人いた戦力のうち戦死者が約3万人、

怪我や病気で後送されたのが約2万人、

残りの大半も負傷もしくは罹患するなど、

莫大な犠牲を払うことになります。

 

インパール作戦下、塚本幸一の所属する

部隊は55名、生き残ったのは3名だけ。

 

引き上げ船で、塚本は

「なぜ私は生き残ったのだろうか」

と考えた。

まる3日ほど考えて出た結論は

「私は生きているように見えるが、

実際は生かされているのだ」

ということだった。

 

「生かされているいる間は、

日本再建復興の一翼を担おう。

生き残ったのは、そおいう使命を

与えられたからだ。

その使命感を母体に、私の一生をやり抜こう」

と決意したのです。

 

 

そして、ブラジャーという

言葉さえ知らなかった、

兵隊あがりの男が、これから洋装化

して行くであろう、日本女性に快適さと

美しさを追求したブラジャーを開発して、

ワコールを一代で大企業に育てあげたのです。

 

今では世界63か国で販売しているそうです。

 

生かされた命に意味を見出し、

成功をつかむ。男のロマンを感じますね。

 

 

素晴らしい生き方に、感嘆いたします。

 

 

若し日の塚本夫妻

 

 

 

この本には、衝撃を頂きました。

一読おすすめいたします。

 

 

 

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