東北史の新研究(律令制度) | radionojikanのブログ

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 人間の古代的開拓、生活の律令的開拓が政治の開拓の底に考えられなければならない。東北における開拓の方法は、

Ⅰ中央からの植民移民

 1.流刑の適用

 2.浮浪人対策としての移民

 3.良民たる内民の集団移転

Ⅱ蝦夷の内民化

 1.自発的な帰降

 2.討伐によって帰服

 (1)強硬分子は内国に送ってここに集団生活をさせ反抗のための組織から隔離

 (2)穏和派は当土にとどまらしめ、そこで編戸し、種子を与えて王民とする政策

(東北史の新研究 42頁から52頁をまとめました。)

 

 ネットから阿弖流為の碑を拾ってきました。

 碑文には、八世紀末頃、日高見国胆沢(岩手県水沢市地方)を本拠とした蝦夷の首領・阿弖流為(アテルイ)は中央政府の数次に亘る侵略に対し十数年に及ぶ奮闘も空しく、遂に坂上田村麻呂の軍門に降り同胞の母礼(モレ)と共に京都に連行された。
 田村麻呂は敵将ながらアテルイ・モレの武勇、人物を惜しみ政府に助命嘆願したが容れられず、アテルイ・モレ両雄は八〇二年河内国で処刑された。
 この史実に鑑み、田村麻呂開基の清水寺境内にアテルイ・モレ顕彰碑を建立す。 と記載されているそうです。