イマの時代、世界をぐるっと眺めているとホンマに小さな話題、ショウモナイ問題で大勢が死ぬんだから、第三者的な視点に立つと何故か嗤ってしまいます。

俺たちの土地だ、俺たちの文化だ、それは俺たちのものだ、返せ、入るな、奪い取れ!まぁ、ざっくり表現すればそんな流れだろうか?


所有、使用権を巡る超〜ショウモナイ諍いと殺し合い。

今や鈍感に生きて鈍感に暮らすことが出来る人こそが最もサバイバル向きなのかも知れない。

【メイク鈍感、グレート、アゲイン!】ハハハ

人間の浅ましいさに呆れかえる🐸ノミ(カイカイ)!ハハハ

〈ワン、セァンドイッチ&ワン、コーク、プリーズ!〉

何も考えずにただただ注文していた時代…

そんな以前の世界にどっかで戻って欲しいものだけど、もはや無理だね。ハハハ


今日は久しぶりにアソコに寄ってランチしてみよ〜とお邪魔してみたら、カウンター席で片脚を組んだ高齢者のあまりにも酷い立ち居振る舞いを奥のテーブルから眺めながら、スタッフや隣席の人が微かに苛ついているのを感じつつ、私は私だけの楽しいランチを満喫させてもらった。

ただその高齢者の追加注文の〈あと、ミズ餃子〉には内心嗤ってしまった。〈スイ餃子をミズ餃子?〉笑


ならば〈スイ餃子とスープ餃子〉の違いも恐らくわからないんだろうな〜と考えながら、ナマエも知らないモノを注文して食べる人のマヌケさに内心、ホンマに内心では大笑いしてしまった。ハハハ


あと隣席のサラリーマンたちは誰が店内聞いているのかも意識せずに自分たちの業務内容の詳細を話している。女性たちはやっぱり職場の不満を漏らしている。それもかなり具体的に。


この人たちのランチ、ランチタイムって、いったいなんなんだろう?


きっとシゴト中は遊ぶことを考え、遊んでいるときにはシゴトのことを考えているのかも知れない…といういかがわしい推測もわく。


なるほど、なるほど、日本の現場労働者が、またホワイトカラーも、働かなくなっている一つの症状がそこに透けてみえて来たかも知れない。いや、どうだろうか?ハハ


少なくとも私は競争社会を意識して幼少から今日まで生きて来たんだけど、平等スローガンに洗脳され、すっかり支配されてしまった者たちには、他人と他人の動向が気になって気になってしかたないようだ。


平等スローガンを単にスローガンと脇に置けば、他人は他人、自分は自分、ついでに弱肉強食、強肉弱食、ケースバイケースでどうにでもうまく対処する。


たとえ弱弱メンバーでも、それを組織化できれば、驕った強肉たちを私ならなぎ倒して貪り食いつくすかもわからない。私が強ならば弱を肉にするも、手下にするも【一寸の虫に五分の魂】のたとえの通り、生殺与奪は私が自由選択する。

だから…まぁ、それだから、基本他人、職場であろうがそれ以外であろうが、知らない人、有名人の動向など基本どうでもいい。そんな具合に自分が生まれながら鈍感だったわけではないのだけれど、今の社会環境においては鈍感であることは私になくてはならない才能の一つかもわからない。


一つ…最下層の現場労働者に対するパワーハラスメントの訴えは成立し得ない。私は管理職でも、正社員でもない。働きのスジのめちゃくちゃ悪いベテランたちが攻守逆転され、私が日々その働き方のスジ悪を誰もがびっくりする程度の声高で指摘(アナウンス)したとしても、彼、彼らに安易な救済策などない。ただあるのは私に対して過去不覚にもやってしまったように、沢山の過去の新人に対して嫌がらせで辞めさせて来たことへの改悛とその痛みを今では彼らの大罪として自ら真摯にカラダに刻み込むしかない。


逆らえば、一寸の虫は足蹴り、踏みつけるのみ。


〈オオカミは生きろ、ブタは死ね〉ではない。〈オオカミは新たなより強いオオカミにより葬られるのみ〉


私たちの現代社会はあの悪徳経済学者の唱えた新自由主義に染まった社会か、新自由主義とスジ悪な社会主義のハイブリッド社会の二者択一しかないのだから。


さあ、生きる残る覚悟をしっかり固めねばならない…の、かもわからない!いや、どうだろうか?ハハハ😀