先週、年賀状を製作するための準備、素材をイロイロ買い揃えて置きました。そこで…


本棚から1年ぶりに参考書を取り出し、手に取り、パラパラパラとページをめくってみました。はは


書き出しは次なるものです。


先哲の教えに、「人間はいかなる場合にも喜神をふくまなければならない」ということがございます。とある。


そもそも「喜神」とは「喜ぶ心」のことで、いろんな私たちの心の働きにあって、最も奥深く本質的な心、それこそが神に通ずるが故に「神」と表現したんだそうな。いかなる境地、境遇にあっても、心の奥底に喜びの心を持たなければならない。これを展開すると、感謝、あるいは報恩という気持ちになるとある。この書籍が記された時代と同じように、新しい年を迎えて世界の国々を見渡した時、しみじみとこの日本の平和な新年に喜びを感ぜざるを得ない、と筆者と同じ感想をぜひ抱いてみようかと考えている。


さてと、こうしんの甲とは、鱗−ヨロイをつけた草木の芽が、その殻を破って頭を少し出したという象形文字で、これを人事に適用すると、旧体制が破れて、革新の動きが始まることを意味している。さらにこれを実践的に考えると、この自然の機運に応じて、よろしく旧来のしきたりや陋習を破って、革新へと一歩踏み出さねばならないとなる。


と同時に辰という会意文字は、理想に向かって辛抱強く、かつ慎重に、様々な抵抗や妨害と闘いながら歩を進めてゆくという意味となる。


よってこうしんの意味するところは、ちょうど春になって、新芽が古い殻から頭を出すのだけれど、まだ余寒厳しく、勢いよくその芽を伸ばすことが出来ないと同じように、旧体制の殻を破って、革新の歩みを進めなければならないのだけど、そこにはいろいろな抵抗や妨害があるため、その困難と闘う努力をしながら、慎重に伸びてゆかなければならないという年となる。…と、あります!はは


昨年(いや、まだ本年)のぼっきとは、筋道を通さなければ、物事が紛糾して始末がつかなくなり、場合によっては、ご破算に持ってゆかなければならぬようになるということだったので、私はこうしんを頭の隅っこ置きながら、ラストぼっきを持続、エンジョイしようと考えている。


ここまで書いて来ると、現政権の総理は相当それを意識して公務にあたっているのかも知れない?いや、わからない!ははは


ちなみに神社のアレに〈過程を愉しめ〉とあったので、ぼっき(癸卯)はめちゃくちゃ過程をエンジョイしまくったかも知れないが、こうしん(甲辰)にはめちゃくちゃ慎重に我が道を更に突き進もうかな?とか…。


ちなみにひと昔前、ケネディ大統領が斃れた事件が発生したらしい。イェーイ👍