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聴力が人並みあることの幸せ

 今日、私が勤める病院の外来は難聴の患者がやけに多かった。
 難聴の方々には大変失礼かもしれないが、私から見ると、難聴や聾の方はほかの人が伝えたいことを知ろうとしないような素振りを故意にされているようなイメージを受ける。この感情を逆に考えると、自分が難聴になったら周りの人から自分が理解する気がないような素振りに見られるのだ。それって、非常に恐ろしいことだし、自分が難聴だったら本当に悔しい。
 ところで、難聴の人は喋れても自分の意思で喋らない人の方が多いらしい。もし、自分が難聴だったり、聾だったりしたら、自分の意思で喋ることはないだろう。なぜなら、自分の声が自分で聞き取れない、つまり自分の言葉を確認できないのでは自信を持って言葉を発することはできないからだ。
 自分は五体満足に生まれた。それゆえ、障害のある方の本当の気持ちは分からない。彼らに本当の意味での支援をしていくためには、彼らの本音を分かることが大切なのだと思うが、勝手に想像して自分の中だけで障害者の方々がどう思っているかを知ったかぶることほど傲慢なことはないし、障害者の方からは迷惑がられるに違いない。

人間の生命力

今日、自分の勤める病院に急患が運ばれてきた。その方は以前から私の勤める病院に通っており、自分も彼を知っていた。

今日の彼はいつもと違っていた。そのことだけは医師でない自分でもはっきりと見てとれた。

彼の表情はきびしく、痛みがあるのか、体を動かすたびに声を上げた。ただ、目はうつろで、意識もはっきりとしない。彼を見てすぐの自分は、もうお迎えがすぐ近くに来ているのだなぁと思ってしまったのだ。

ただ、人ってそんなにか弱い生き物じゃないんだね。ほんとに今にも逝ってしまいそうな表情をしていても、その表情の奥に力強い生命力を感じた。

人間って、自殺しようとする心を抑える力って無いに等しいんだけど、生きようとしている人の生きる意欲は無限大∞ この無限大の生きる意欲が、表情の奥に力強い生命力を感じさせるんだね。

蜂・百足・蛇に気をつけろ!

母が蜂に刺された。今年2回目。
蜂は2回目に刺された時が恐いと聞く。また、1回刺されただけで死んでしまうような強い毒をもった蜂もいる。

今年は特に蜂・百足・蛇が多いらしい。台風の後片付けの時は要注意だ!

テニスの後

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1日の夜は職場の人達とテニスをした。自分は久しぶりのテニスで、フォームも動きもめちゃくちゃ(´∀`) 今になって休まずに練習に行けばよかったと後悔
2日はそのテニスの話で盛り上がった。腕や足腰が痛いなど… いつもはそれほど痛みを感じないのだが、今回は練習不足ゆえいつもより痛く感じた。

敬語

職場の上司が「自分より年齢が上の人には敬語を使いなさい」と、最近うるさい。

「敬語を使え」って、小学生から教えられてきたこと。けど、言われたから使うだけで、心の底から敬語を使いたいと思って敬語を使っていたわけではない。


けど、最近その考えが変わってきた

自分は病院で働いているのだが、患者の大半が自分より年上の先輩方。患者と接していると、樹齢○○年の大木のように、その患者が生きてきた軌跡を感じられるのだ。そして、この感情が生まれたとき、私の形式だけの敬語が、本心からの敬語に変わったのだ。


綺麗な敬語を使うのは難しい。いや、あえて綺麗な敬語を使う必要はないのかもしれない。むしろ、下手でも敬語を使うことで、相手に敬いの念が伝わればいいだけなのだ。