たぬきのためのどんぐりガーデン -2ページ目

たぬきのためのどんぐりガーデン

のんびり穏やかに笑いに変えて生きていきたい
小さな幸せを大きく変えたい
そんなスモールライトみたいな変換日記

酸素マスクが外れて、すっかり熱も下がり

鼻からの酸素吸入になっていたらしい。


そして今日、酸素吸入も外れて

酸素飽和度は97%で安定している様子。

ほぼ、回復…かな?


さすが病院は回復が早いね

看護師さん達や医師の対処のおかげ

本当に本当に感謝でいっぱい


入院できたこと、本当にありがたくて

入院できずに亡くなった方の

命の上に、あの人の命があることを

とても痛感している

これからも大切に生きていってほしいと思った


私の心は

バラバラのままですが。


居場所がなくて

必要ともされてない気がして

何かの拍子に

粉々に砕けてしまって

それがまだ、くっつかない

だから このまま

そっと離れてしまった方がいいのかと思ってる

あの人のため なのかなと。


私の本心は


もっと必要とされたかった

甘えてほしかった

それだけで救われて

簡単に元気になれちゃいますが


病気になったら

自分のことでいっぱいになるし

助けてくれる看護師さん達を頼るもの

私のいる隙間さえない


あー、それを感じてるから

普通じゃないのかもしれません

器が小さすぎですね

久しぶりにビデオ通話で

お互いの顔を確認できました

音声はなしで

話したいと言ってもらえて


ほんの数分

少し細くなった顔に

酸素マスクがついていて

痛々しいのに

精悍な顔立ちにドキリとした


まだマスクが外せない

そして コロナによる合併症なのか

血糖値が跳ね上がっているそうです


退院はきっとまだ先


淋しくて

不安で 悔しくて

潰れそうなのを

必死に隠してるから

とっても疲れる…


どれだけ側に行きたいと願っても

苦しい時に近くにいて

助けようとしてくれる存在には敵わないです


時には明るく時には優しく

試行錯誤した言葉を送っても

隣で優しい言葉をかけられる人には敵わないです


どれだけ神頼みしたり心を痛めても

あなたの不安を吹き飛ばす

そっと背中に置かれる温かい手には敵わないです


比べることではないのかもしれませんが

もう、心が苦しくて

何も出来ない自分がイヤで

押し潰されそうな気持ちでいます


「どうか救って欲しい」と願う反面

その大きな「安心感」を背負った存在に

木っ端微塵にされたよう気持ちです


あまりに小さい自分の存在や

絶望的な無力さや

こんな時に必要とされないことに

勝手に深く傷つき

自分の気持ちでいっぱいになってしまうのは

私の悪い癖かと思います


子離れできない親みたいなもので

縛り付けているのかな…

ごめんなさい


神社にお参りに行きました

ここから数日にかけて通うことになる神社です


今日は入院当初より

少しだけ楽なようです

本当に本当に、良かった…

生きていてくれるだけで感謝しなければ。


そして早く回復したら

他の人に病床を空けなければね。

ある日 突然に 奪われる

私の大切な人が、ある日いきなりコロナに倒れた。

それは今から1週間前のこと。

たった1週間しか経っていないのに、あの人は日常の全てを、人間としての生存活動のほとんどを奪われた。


最初は、頭痛と倦怠感を訴えていただけだった。

エアコンで冷えたかな

風邪かな、自律神経の乱れかな…

あらゆる浅はかな可能性を並べて様子を見ていた。

しかし、みるみるうちに38度超えの発熱。

喉の痛みを訴え、翌日にPCR検査を受けに行っていた。


翌日には陽性判定。

その時すでに39度近い発熱だったと思う。

喉は痛くともご飯はしっかり食べれていた。

まだ連絡を取る元気はあったので

ベットからビデオ通話で横になっている様子を見せてくれた。

でもこのときはまだ、この先の地獄をお互いに想像もしていなかった。

「コロナには負ける気がしない」と豪語していたのが、霧のようにフワリと消えて無くなることを、2人ともまだ理解していなかった。甘くみていた。


そうして始まった自宅療養。

徐々に咳が出始めたが、必死に我慢していた。

飲みたいもの、食べたいものは家族がドアの前に用意してくれていた。

医療は整っていないけれど、サポートと安心感は厚い。リラックスして静養できるのは同居だったからであろう。そしてまだ軽症だったからであろう。

自室にこもってはいたが、家族への感染を懸念していた…そんな矢先、感染3日目にホテル療養することが決まり、あの人は1人ホテル療養することになった。

今思えば、コロナの猛威はこれから…

地獄の幕開け とでも言うべきかもしれない。


ホテル療養の実態

ホテルは全国展開するホテルのシングルルームだった。

ベットはセミダブル程の大きさがあり、健康ならば快適だったことだろう。

ホテルに移ってからはますます咳が酷くなった。

そして熱も39度を超えていた。

ついに味覚と嗅覚がなくなり、

支給されるお弁当から味が消えたらしい。

最後までほんのり味がしたのはお漬物。

その他は苦味だけが舌に残り、無理やり口に運んでいた。

こうやって、日々生きる楽しみが一つ一つ奪われていくのだと感じた。

しかも、お弁当のメニューは全員が共通らしく、高熱があろうと平気で油物が出てくる。

39度以上あって、色彩が茶色ばかりのお弁当は辛いと思った。

でも食事が安定して提供され栄養が取れる環境は、ありがたかった。

しかし驚いたことが1点ある。

患者さん達は、自分でわざわざお弁当を一階まで降りて、自分の足で取りに行かなければならないことだ。

患者さんからしたらこんな拷問はあるだろうか…

それこそ部屋のドアの前またはフロアごとに置くなどすれば、患者さんたちの負担を減らしてあげることができるし、感染対策としても一階は安全圏となるので相乗効果のように思うが…

保健所からの指示なのか、ホテルのやり方なのかは分からないけれど、症状の酷い患者さんにとっては過酷だろうなぁと感じていた。


この頃、発熱は40度近いのが当たり前。

頓服で2時間かけて解熱させる。

身体がいくらか楽になってきた4時間ほどの間は38度台を保ち、その隙にシャワーやご飯取りに行き、味のない物体をひたすら喉に押し込むことを済まさなければならなかった。

コロナ患者一律で同じ扱いなのは良いが、病状は人によって違う。

無症状隔離なら歩けるが、発熱患者や呼吸機能が低下した患者に一階まで降りろというのは、あまりにも酷な話だと思っていた。

現に「しんどすぎて取りに行けない」と言う日もあった。取りに行けない=食べられない、病状が進行しているように思えた。


私は何も出来ない無力さを感じながら、私はただあの人との「無言の通話」に出来るだけ時間を割いた。

何も話せなくても、心細さを埋めるために繋がっていたいのだと思ったから。


たった数日で激変する

日を追うごとに病状は悪化していった。

激しい咳と、下がらない高熱で、もはや食べるものも食べられなくなっていった。

頓服で解熱している間も、目眩で歩くこともおぼつかない。酸素が入らない肺で、小刻みに力強く息を吐く、反動で吸う…を必死に繰り返しているようだった。

会話のない電話では、ずっと「ハァッ ハァッ ハァッ」と繰り返す呼吸音が延々と響いていた。


「しんどい、無理だ」と、いよいよ弱音が出始める。

頓服も薬が変わり、より効果の強いものになった。

薬を飲むためには固形物を食べなくては胃が荒れると分かってはいても、苦しくて動けない上に食べられない。

それでも頓服で解熱しなければもっと苦しい、そうしてゼリーを必死に流し込んではいたものの、やはり胃を痛めたあの人は、後半は吐き気も伴っていた。

でも吐くものがない。


息が吸えない。

食べられない。

眠れない。

味がしない。

生きてるとは言えない。

生きた心地がしない という表現より

死にかけている そんな状態だったと思う


そのホテルには常駐している看護師さんがいる。

自宅療養にはない心強さだった。

看護師さんは笑って優しく対応してくれたそうで、この上ない安心感だっただろう。

日替わりで交代しているらしいけど、看護師さん達も過酷な勤務状況の中、あの人に丁寧に対応してくれて、心から感謝したいと思う。


話は戻り、看護師さんによると「パルスオキシメーターの酸素飽和度が93%以下にならないと入院にはならない」とのこと。

94%まで下がっていて、やっと息をしているような電話口だった。あと1%が下がらないから入院できないというのは、きっと地獄の苦しみだったと思う…。


死ぬかもしれない

症状がとても酷くなった時、看護師さんを呼ぼうにも…遠くにある内線電話まで行けなかったそうだ。

起き上がると苦しさや胸の痛み、飛び散りそうな鼓動と目眩がすると言っていた。

このたった数歩が果てしなく遠かったのだろう。


あの人は救急に電話をかけて、どうにかホテルの看護師さんに取り次いでもらったようだった。

この辺の経緯の詳しいことは分からないが、

その報告を受けたとき、私は号泣した。

恐らく朦朧とした、ようやく保てる意識の中で、必死に説明してくれたからだ。

ただ泣くしかできない、祈るしかできない。

どんな言葉を伝えても…苦しんでいる本人の心の内に比べたら薄っぺらく思えるから、何も言えない。

言えなかった。

無力さに打ちひしがれて、ただ泣いていた。


救急から連絡を受けてからは、ホテル内に作られた酸素吸入の部屋に連れて行かれて、酸素吸入をしてもらえたようだった。

そして部屋で使うための携帯用の酸素吸入の缶をもらったのだと思う。

(電話口から聞こえてくる音から察するに恐らく缶のものだと予測したが、この頃はもうあれこれとLINEで質問するのも遠慮していたので、あくまでも缶であろうと予測するしかないけれど)

酸素を吸うと一時的に楽になるそうだが、それも長続きはしなかった。

一時凌ぎの酸素吸入を嘲笑うかのようなウィルスの猛威、ますます悪くなる容体は止まることがなかった。



日を追うごとに連絡も減っていく。

翌日、電話によるオンライン診察を受けると言っていたが…何故かそれは無くなったらしい。



そこから2日、ほとんど連絡がつかなくなる。

私はもう、考えたくもない死の気配をずっと感じていた。

祈らなきゃならないのに、不安に巻き込まれていく。

死ぬかもしれない…

それを払拭できるほどの希望は、その時の私にはなかった


重症への壁を超えて

そして今朝…急に連絡がきた

「酸素濃度が90%を切り、入院することになった」という報告だった

再び、ホテル内の酸素吸入部屋から連絡をくれたようだった。

片言の、最低限の報告。

必死に携帯を持ったのだろう。

あの人はいつも必死に生きようとして、苦しみの中で必死に連絡をしてきてくれる。


さすがに…無理だった。

職場で泣いてしまった。

やっと入院できることへの安堵と

こんなことになってしまったという恐怖と

なんで、健康なあの人が?という憤りと

ここまで重症にならないと入院できないという現状に愕然として、感情が溢れてひたすら泣いた。


そして今日の午後に無事に入院したようだけれど、

病院に入ったから安心しても良いものか…心配は尽きないでいる。

医師と看護師さんに任せるしかないのは分かっているのだけれど…


重度の肺炎を起こしていること

薬が切れるとまた呼吸困難が酷くなること

身体からウィルスを殺す点滴を受けること

鼻の酸素吸入ではもう酸素が足りないこと

そして、最愛の家族もまた感染してしまっていること

何年ぶりかに会う予定だった9月中は

もう会えないかも知れないと考えてること


細切れのLINEで

必死に伝えてくれたあの人の現状だった。


そしてまた、連絡が途絶えた。


もう近くにきている

これはたった1週間の出来事です。

コロナは重症になり得る「殺人ウィルス」と言っても過言ではないと感じました。

まだワクチンは打っていなかったけれど

健康で、非喫煙者のあの人が

こんなことに巻き込まれて

一瞬で人生を失いかけています


あの人が今、息が吸えているのか

眠れているのか

そもそも意識はあるのか

重体ではないか  分かりません

私には知る術がありません

仮に亡くなっても

それを私に連絡する人はいないからです

だからこそ、必死な連絡の一粒一粒を丁寧に掬って、すぐさま反応を示さないと、あの人の「生」に間に合わないかも知れないのです。


眠るのが怖いです。

失うのが怖いです。


あの人の笑顔が、柔らかい声が

今は遠い昔のことのように思えます。


コロナに苦しんでいる全ての人に

ちゃんと明日が 訪れますように。

大切な人を失いかけている私は

今それを心から願うことが出来る様になりました。

そして、命がけでコロナに向かっている医療従事者の方々がしっかり休養をとり、安全に過ごせるように、微力ながら自分に出来る対策を徹底したいと思うのでした。