其の二十二 『“四季” 〜自作で二種の味わい』
〜A.ヴィヴァルディの『四季』をもとに〜
4月29日は昭和の日🎌
その一週間ほど前...
隅田川の駒形橋端“吾妻橋 やぶそば”にて、
戦後の昭和を季節感の中で味わう趣向の昼酒🍶
ご隠居さんのツイートと自作のソネットを添えにして楽しんだり✍️
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1️⃣ 政治の季節(1950年代)
サンフランシスコ講和条約(1951年)にはじまり、60年安保に終わる。政治が主テーマとなった時代。
“わさび芋”
→ 新たな出発だけど、これからは鼻につくのと関わりながらだぁネェ🌹
🎼 『四季』の“春”に記されたソネットより ✍️
うららかな春の日が心地よい 小鳥は楽しげにさえずっている
小川は穏やかにせせらぎ そよ風が優しく頬に触れる
ようやくおとずれた日々を 皆が嬉しそうにしている
刹那のうちに変わりゆく 暫くのたけなわのこと
やがて去っていくと 皆がまた嬉しそうにする
そよ風に撫でられると 牧場の木立も語りはじめる
青々とかがやきながら 春の日を楽しんでいる
牧羊犬は鳴き声をあげ 羊飼いはうたた寝をする
まぶたの裏まで暖かくて 夢を見ているのだろう
“牧笛”を聞きながらニンフと踊る夢を 優しくかがやく日差しのもとで
2️⃣ 経済の季節(1960年代)
財政に明るい池田勇人首相の登場、掲げた所得倍増計画。驀進の勢いで高度経済成長がつづき、経済が主テーマの時代。
“かまぼこ”
→ 板についてるのが、活きてる時代になってきたもんだぁネェ🌻
※ 板についてるものとは、労働に真面目な国民性のこと
🎼 『四季』の“夏”に記されたソネットより ✍️
“太陽の季節”がやってくる 木立がぐんぐん茂りゆく
一年の盛りを 夏鳥たちも謳歌している
しかしうだる暑さは 容易なものではない
通りゆく風のみが一服のもの 束の間の涼
風は黒雲も運んでくる 雷鳴と稲妻が狂宴して
夏の嵐の中で 激しい雷雨に見舞われる
蝿も煩わしい まんじりとやり過ごしつつ
得手も不得手も 羊飼いはそう思う
あまつさえの中 あられまでが叩きつける
糧が傷みつつも なす術はない
3️⃣ 外交の季節(1970年代)
第二次世界大戦後に発生した領土問題などが進展し、外交が主テーマとなった時代。沖縄返還や日中国交回復など。
“親子煮”
→ ようやく親父と、これからはやり直していけるってことだぁネェ🍁
※ 中国は東アジアの父親の国。古代日本は渡来人を頼りにしたことより、朝鮮は兄貴の国。
🎼 『四季』の“秋”に記されたソネットより ✍️
柔らかな日差しが帰ってきた 人々は稔りの刈り入れに勤しんでいる
一年の労苦を癒す収穫祭 酒が振る舞われて
歌や踊りを楽しみ 豊かな稔りに歓喜する
人々は酔いしれていき バッカスの虜になる
穏やかな日の中で 心地よい秋風が吹き抜けていく
労苦の後におとずれた憩い 人々は“午睡”へ誘われていく
まどろむ中で 夢でも見ているのだろう
猟犬と狩りにいき 獲物を追いつめるような
ついには仕留めて 勝どきに沸く
凱歌とともに 謝肉祭を味わう夢でも
4️⃣ 狂騒の季節(1980年代半ば〜90年代初期)
1985年の日米外交、プラザ合意よりバブル経済が開始。昭和60年代から平成の初期はアメリカの1920年代、ローリングトゥエンティーズさながら、過度に好況だった。
“焼きのり”
→ 薄っぺらくって、おまけに黒々とした時代になったもんだぁネェ☃️
🎼 『四季』の“冬”に記されたソネットより ✍️
凍てつく大地は うっすら雪化粧
曇天は鉛色で 体が震えるほど寒い
北風が頬を切り裂き 歯の根も合わないほどに
暖炉の前に家族が集まる 薪がはぜる音を立てている
手をかざしているうちに 語りがはじまる
毛糸の温もりの中で ゆっくり動きながら
思い出語りに花が咲く 穏やかに時は流れていく
家族が“団らん”しながら 夜が更けていく
屋外ではスケートを楽しむ 滑っては転びながら
立ちはだかる厳しさを知る だから春を憶う
いい季(とき)を想う
※ ソネットの詩は『作曲家別名曲ギャラリー21 ヴィヴァルディ』(岩井宏之著 / 音楽之友社)を参考にしました。
※ 4遍の自作のソネットは10行(+α)に統一しました。高杉晋作の僧名(或いは隠居名)の“東行”にアイディアを得たものです。
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💹 “一杯のかけそば”(1988〜89年)
バブル経済の世相に対して、栗良平氏によって打ち出された物語。バブル時代は社会が拝金主義にまみれていた💸
“一杯のかけそば”とは、作家中野孝次氏がバブル崩壊後の日本において提唱した“清貧”を裏打ちするものでもある🙆♂️
戦後の昭和とは“四季”の中で表現される。しかし、その行き着く先😩
ご隠居さんのツイートと自作のソネットで味わう戦後の昭和。その昼酒の〆には“鴨汁そば”が相応しかろう🦆
なぜならば、バブル崩壊後の90年代の日本。そこには確かに“粒ぞろいの真鴨たち”が存在したからである🦾
その時代に...豊島区上池袋の巣鴨学園に集った若人たちのことである👨🎓
そしてだから、後日改めてと、対岸にたち返る。そこで浅草駅地下街の“文殊”の“かけそば”をすするのが、またよろしかろう👍
文責・味酒 文処 拝