3日目に明日から母乳指導してもらえるということになったので、とってもはりきってやる気満々でしたが
翌日「明日からにしよう」と看護師に言われ、とてもがっかりしました。
なので、その日は夕方の娘の面会に行くときまで
(退院していないので自分一人で娘の面会に行けず、連れて行ってくれる夫の仕事が終わってから面会に行っていました)
何もやることがなく、本当に暇。
他の病室からは、赤ちゃんの泣き声やお見舞い客との楽しい笑い声が聞こえてきます。
本来なら私も同じだったのに・・・・
うらやましくって泣きたくなってしまいます。
なので、友達に母乳指導なくなっちゃったから暇だよーとメールを打ちまくっていました。
前日まで、
「早く○○ちゃんに母乳搾って持っていってあげたい!」
「明日から母乳指導してもらえるんだ!」
とそれは楽しみに友達にも話していたので。
出産前は、産院まで赤ちゃん見に行くよって言ってくれていた人たちも、
赤ちゃんが障害を持っていてNICUに搬送されたと言う、「普通じゃない」出産報告を受けると
それでも来てくれるって言うはずがありませんでした。
みんな遠慮してくれてるのでしょう。
見慣れている私一人を見舞ったって仕方ないですものね。
でもその日は私のメールを見て、一人の友人が
「もし気がまぎれるようだったら、今からお見舞い行くよ!」
と言ってくれたのです。
本当に嬉しかった。
その友人は1歳の上の子を抱えて、妊娠中。
大荷物とお兄ちゃんを抱えて、3階の私の部屋までふぅふぅ言いながら登ってきてくれました。
この産院はエレベーターがないので、何だか申し訳なかったです。
ナースステーションがある2階や診察を受けに1階まで、会陰切開の跡が超痛いのに上り下り
私は外出して娘に会いに行ってたので、その階段もきつかったです。
つわりがとってもきつくて貧血もあって辛かったときに、3階である妊婦学級のときもきつかったなぁ。
友人が持って来てくれた、私の大好きな色ピンクでまとめられたフラワーアレンジメントがとっても嬉しかった!
どんよりと暗かった病室が、一気に華やいで少し明るい気持ちになれました。
その友人は、私が姉のように慕っている年上の友人で、知的でとっても気が利く人なのです。
だから正直に色々話せるし、相談にものってもらっています。
一人だと悪い方に考えて泣いてしまいがちですが、彼女がやんちゃ坊主と一緒に来てくれたのは
本当に気がまぎれて、楽しくすごせたひと時でした。
娘の病気のことも、最初から詳しく話していました。
私はそのときただ漠然と初めて聞く病名を告げられただけで、
大まかな症状しか知らされていなかったので、どんな風になってしまうのかとっても不安でした。
産んだその日は、ドクハラ医師に
「指だけじゃけー。
一応他に何かあったら困るから、こういう子は搬送して検査してもらうけど、
大丈夫じゃけー、2.3日ですぐ戻ってくる。」
と何度も言われていたので
翌日の出産報告は、
「昨夜女の子が生まれました。
名前は○○です。
ただ実は、ちょっと障害を持って生まれてきたので検査のために総合病院に搬送されてしまったの。
そばにいられないのは辛いけど、とっても可愛い顔をしていたので
受け入れて可愛がってもらえたら嬉しいです」
といった内容でした。
障害はちょっと=合指症だけ
だと思い込んでいた(思い込まされていた?)
ので、そんなのたいしたことないとあまり気にしないでみんなに出産報告していました。
みんな、普通に「おめでとう!」って返事くれて、すごく嬉しかったです。
その直後、夫が総合病院から帰ってきて
○○という病名を告知されたと・・・
外(手足)だけじゃなくて、中(脳など)も悪いの!?
と思ってもいなかった結果にすごくショックを受けました。
それは、ごく親しい友人だけにメールしました。
「○○ちゃん、病気だった。
障害は病気のせいなんだって」・・・と。
みんな心配して、励ましてくれる中で、この唯一お見舞いに来てくれた友人は
「何か調べてあげようか?」
と申し出てくれました。
私もその時はどんな病気か知りたくて気が急いていたので、お願いしました。
そして、ネットで親の会があることや同じ病気の人のHPを調べて教えてくれました。
私は、テレビもパソコンもない病室で何もすることができず、ただ不安の中にいたのですごくありがたかったです。
その後、あまりにも娘の病気はたくさんの辛い症状があって、調べることが逆に辛いことになってしまったのですが、その時はすごく助かりました。
そんなこんなで私がはじめて母乳を出させてもらえたのは、その翌日だったのです。
③へ続く