夕方のニュースで、自閉症のハンディを持つ切り絵作家の方が取り上げられていました。


その方は、もう30代ですが、お母様が「幼少の時は何度死にたいと思ったか」とおっしゃっていました。


あぁやっぱり、みんな子供が障害児だと同じように悩むんだなぁとちょっと安心してしまいます。

死にたい・・・死んだ方がましだと思ってしまうたびに、強いと思っていた自分は本当は弱い人間だったんだ・・・とさらに辛くなってしまいます。

死んだら、病気や障害に負けたことになってしまうのかなぁ・・・。

この子を産んだ直後は、絶対負けない!私たちがこの子を守ってあげる!と意気込んでいたのに、

それからずっと、次から次へと辛いことの連続で、さすがの私も前向きになるのが困難になってしまいました。


神様はあなた方が耐えられる人たちだから試練をお与えになったのでしょう

と励ましの言葉をかけてくれた方もいらっしゃいました。

その時は、素直に受け入れられた言葉も


神様が本当にいるのなら、なぜ私たちばかりにこんないくつもの試練を与えるのでしょうか?

神様は不公平だよ!!!


と思ってしまいます。


乗り越えられない試練はない


そんな言葉も、

私だって今まではそう思ってたし、今までも困難なことは何度もあったけど何でも自分の力で努力して乗り越えてきた。

でも、今回の娘の病気ばかりはどうあがいたって乗り越えられない!!!

病気でも育てていく、生きていくことが乗り越えるってことだったら、

乗り越えられる試練なのかも知れません。

でも私が乗り越えたと思えるときは、娘の病気が完治したときです。

だから、乗り越えられない試練を今与えられ続けています。


彼女の病気は治らないのです。

治らないどころか、どんどん悪化して進行していく一方なのです。

それがわかっていて、

育てていかなければいけない親、

生きていかなければいけない子

それが、本当に正しいことなのかわかりません。

命は尊いもの

粗末にする気なんて毛頭ありません。

だから悩んでいるのです。

出口の見えないトンネルで、必死でもがいてるような毎日です。


本当だったら、結婚5年目にしてやっと授かった赤ちゃんと一緒に、今頃大した悩みもなく幸せいっぱいで

家族3人で笑顔の絶えない毎日を過ごしていたんだろうな~

と思うと、何でなんだろう?とまた考えても仕方ないことを考えてしまいます。


少なくとも、妊娠中はそんな毎日が来ると信じて疑いませんでした。

もちろん、生まれてくる子に、

病気や障害があり得る可能性は誰にでもあると言うことは意識していましたが、

ここまでひどい重い病気と障害とは、想像もできませんでした。


娘が生まれてすぐ総合病院のNICUに搬送されてしまい、一緒に過ごせず夫と二人の病室でたくさん話し合いました。

あのときは二人とも、辛かったけど前向きでした。


そのときに

「私たちは○○ちゃんがお腹にいたとき、本当にいっぱい幸せな気分にしてもらったよね。

だから今度は私たちが○○ちゃんを幸せにしてあげる番だね。」

と話しました。


そのときは、まだ娘の病気の全容も知らなかったし、それから次から次へと告知の連続。

ここまでひどいとその病気だけで、いくら私たちが努力しても娘は幸せになれないんじゃないかと思ってしまいます。


今は、広島と関東・・・と離ればなれなので、そんな夫婦の話し合いも満足にできないことが、さらによくない状況に陥らせていると思います。

転勤族じゃなければ・・・何でよりによって転勤族の私たちなんだろう。

娘は一生同じ病院で診てもらいたいのに、また3,4年後の転勤の時期はどうしたらいいんだろう。

そんな悩みもあります。

それも神様が与えた試練なのでしょうか。