何年か前、あるひとのセミナーで偶然再会したわらわ〜さん。
みつろう氏の伊勢のイベントに行くと言っていた(もしくは行ったあとだったのか)
親御さんの介護だったか、たしかそういう理由で、自由に動けるのも今回がたぶん最後になると思うから、ぜひ最後に行きたいから、って話していた。その様子はどこか清々しかったのを覚えている。
だけどそのときのわたしは、まだそれが他人事で正直ピンときていなかった。
それでも、どうしてもほんとに行きたかったら…どうにか時間は作れるものなんじゃないか、って。
だってバシャールのいう〝豊かさ〟は
やりたいことを やりたいときに やれる能力
行きたい場所に行けなくなるって…
豊かじゃなくなってしまう…
でも年齢的に、彼女のように
自分のことだけじゃなくまわりの事情もいろいろ関係してきて、これまでのようには自由でいられなくなるひとも多いだろう。
よく〝死を意識することで大切なことが見えてくる〟とか〝死を意識してこそ生が輝く〟といった感じのことばを聞くけど
〝死〟は〝拡大〟
わたしはそう感じる。
死を目の前に見せられたとき、例えば東日本大震災で多くのひとが経験したときにもそれは起こった。
もう何も怖いものはない
怖いものがなくなったとき、拡大した気がした。
これまでの自分ができなかったこと、恐れていたこともぜんぶ拡大した内にある。そんな気がした。