ミナルディ(minardi)
昨日の、ブログにも書きましたが、私はあまのじゃくです(笑)なので好きなチームもフェラーリや
マクラーレン、現在のチャンピオンチームのレッドブルなどではなく
トロ・ロッソの前身であるミナルディです。
このミナルディというチーム、イタリア人でフィアットのディーラーを経営する
ジャンカルロ・ミナルディという人がF1の1つ下のF2(現在のGP2もしくはFIA-F2)
とうカテゴリーから1979年にスタートさせます。数年、F2で参戦した後、
1985年にF1へ進出し、デビューから数年は母国イタリア人ドライバーを積極的に
起用すしますが。なかなか結果に結びつきません。
1988年ついに2名のドライバーにイタリア人の名前は無く2名ともスペイン人を起用します。
しかし、片方のカンポスというドライバーが当時、参加台数が多い為に行われていた
予備予選の通過もままならず。シーズン序盤で解雇されます。ここでまたイタリア人でオーナーの
ジャンカルロの甥っこであるピエルルイジ・マルティニ
を起用します。その後も90年代中盤までは
シリーズの中団グループを走り時折ポイントを獲得しますが、
優勝や表彰台獲得には程遠いシーズンを送ります
1996年には資金に苦しみ始め、アパレルブランドのベネトンで働き一躍富を得た
、フラビオ・ブリアトーレ
がチームの株式を取得します。当時からブリアト―レは
ドライバーのマネージャー業を行っており、その後は
ブリアトーレのお抱えドライバーが数年に渡りミナルディからデビューします。
翌1997年には、同じくイタリア人でフォンドメタルというホイールメーカの
ガブリエル・ルミがチームの所有権の大半を獲得し新代表となります。
この年は日本人ドライバーの片山右京選手が在籍し日本GPではF1からの引退を発表。
1998年には中野信治がF1、2年目を過ごしますが。中野が毎戦ドライビングに苦労し、
完走をするのも一苦労というのが当時の記事でした。
1999年にはスペインの通信企業であるテレフォニカがスポンサーに付き
97年から変わらなかったリアウイングのスポンサーロゴが
フォンドメタルからこのテレフォニカに変わります。
この、テレフォニカの獲得で少なからず、資金が潤ったのか??
グスタフ・ブルナーというデザイナーを雇います
1999年、2000年とテレフォニカを獲得したとはいえ
相変わらずの低予算での参戦を強いられていましたが
ブルナーの低予算F1マシンはコストパフォーマンスは高く、他のチームからも高い評価を受けます。
2001年にはオーストラリア人の実業家であるポール・ストッダートが新オーナーのなりますが
、相変わらずチーム名はミナルディでの参戦を続けます。
しかし2001年シーズン序盤でデザイナーのブルナーがトヨタへの移籍を発表し、
ミナルディは再び、方向性を失います。その後、ストダッートは、自身のコレクション
で名車である過去のF1マシンを売るなどして、なんとかチームを存続させますが、
2005年ついに、レッド・ブルへとチームを売却します。
チームは2006年よりレッド・ブルのセカンドチームとして、
レッド・ブルをイタリア語で読んでトロ・ロッソと命名され、
少なからず、イタリア色を残す事となりました。
僕としてはできれば毎年、イタリア人ドライバーを起用してほしいのですが、
今の所、リウッツィが走っただけですね・・・。
イタリアのチームでありファエンツァというトリノやミラノそしてローマなどに比べて
小さい町を本拠地にしているチーム、
一言で表すとアットホームなチームと色々な記事に書いてあります。
料理はF1界でもずば抜けておいしいらしく特にパスタは絶品だったとの噂!!
どなたか食べた事ある方教えて下さい
万年、最後尾を定位置としていたミナルデ。
僕は、何故か応援してしまいました。ただ単に日本人が続けて
2人走っただけでなく、お金がなくても、参戦し続けるその泥臭さなのか?
ルミやストッダートがチーム名を変えずにミナルディで参戦し続けた理由を
いつか聞いてみたい気がします。もしかしたら、
僕と同じく、何故かわからないけどミナルディがすきだったのかもしれません
2008年にはトロ・ロッソが地元イタリアGPで
後のF1チャンピオンになるベッテルによって初優勝をあげます。
ミナルディから引き続き働いていたスタッフはおそらくとても感慨深かったのではないでしょうか?
いつの日かまたミナルディというチーム名が
F1の世界に戻ってくる事を願っています。
シューマッハと言えば、兄のミハエルですが、今日のシューマッハは弟のラルフ。
私は若干のあまのじゃくなもので。兄のミハエルよりラルフのほうが好きです
ミハエルの影響でカートを始め、順調にステップアップしていきます。
95年にドイツF3でシリーズ2位を獲得後(マカオでは優勝)、F3は卒業。ミハエルの勧めもあったらしく
翌96年には活動の場を日本へ移します。この際ミハエルは何故ラルフに日本行きを勧めたのか??
すごく気になります。もしかしたら、別に勧めていなかったのかもしれません。 日本、滞在時は
JGTC(現在のスーパーGTの前身)と開催初年度のフォーミュラーニッポンで活躍。 1年で日本から離れる事に。
97年、ジョーダンからF1デビュー。表彰台にも上がり、まぁまぁなデビューイヤーだったのではないでしょうか?
99年にはワークスのルノーエンジンを失って2年目のウィリアムズへ移籍、この際もミハエルの勧めがあったとか
なかったとか・・・。 翌2000年にチームはBMWエンジンを獲得、チームメイトには新人のジェンソン・バトンが
入り、スポンサーにはコンパック(パソコンメーカー)が付きマシンやチームウェアなど前年までとはカラ―が一新
されるます。(現在もウィりアムズはこの紺と白が基調である)
ジョーダン→ウィリアムズ→トヨタと渡り歩くラルフですが
個人的にはこの紺と白のウィリアムズが一番似合っていたと思います。01年もウィリアムズに残留しますが
チームメイトはファン・パブロ・モントーヤに変わり、F1デビュー年のフィジケラ以来のほぼ対等な立場の
チームメイトになります。今まではデイモン・ヒルだったりバトンだったりベテランかルーキーのどちらかでした。
結果、程よい刺激のなかでシーズンを過ごせたのか?3勝をあげます
翌年もチームとチームメイトは変わりませんでしたが、モントーヤに年間ランキングで抜かれてしまいます。
ここで、もう一度奮起して、モントーヤに決して主導権を渡さないような結果、雰囲気を出していれば、今現在でも
F1で走っていたかもしれません。03年、04年も変わらずウィリアムズから参戦、03年は2勝をあげるも
チャンピオン争いには程遠く、04年にはアメリカGPにて骨折するクラッシュをしてしまい数戦に渡り欠場。
この頃から、ウィリアムズは勝つ事が難しくなり、現在のようなポイント圏内の争いや
中段グループでの走りの余儀なくされます。翌05年はトヨタへ移籍、実際は、当時のトップドライバーたちが既に
他チームとの契約の済ませており、その後のレベルのドライバーと言えばラルフだったのかな?と
今では思います。トヨタはお金もいっぱい持っていたでしょうから。
ラルフはかなりの額の年俸を数年にわたり貰っていたはずです。年俸に気を良くしたのか、
2戦目のマレーシアを皮切りに着々とポイントを重ね、なんと日本GPではポールを獲得
年間ランキングでもチームメイトのヤルノ・トゥルーリを上回ります。翌06年はオーストラリアでの3位が唯一の
表彰台でシーズン通してふるわず・・・。翌07年はトヨタ在籍3年目で結果がでなくても貰える高額年俸に
なれたのか?やる気がないのか?後方グリッドからのスタートが多く、この年限りでトヨタ離脱を発表します。
ここでラルフにとって誤算だったのが、周りのチームがラルフの離脱の発表を受けてもあまり関心を示さなかった
事。私は中団グループをかき回してくれるドライバーとしてラルフに残ってほしかったのですが・・・。
現在のトゥルーリやバリチェロなどベテランの苦戦を見ていると、結局ラルフは生き残れなかったな・・・。と
むしろ、後にトヨタがF1撤退したことを考えると、お金を沢山もらえる内に、開発が休まる事なく進んでいる内に
トヨタを離脱できてよかったのかなとも思います。現在、ラルフはDTM(ドイツのツーリングカー選手権)に参戦中
ですが、相変わらず・・・、中団だったり、いきなり速かったりと波のあるドライバーであることは変わりなし。
でもそいういうドライバーって愛着わきませんか? トップドライバー以外が好きだったりすると、ちょっと通な気が
してきませんか? がんばれラルフ、いつか兄のアドバイスで?と言われない日が来ることを願ってます。
というか、F1の去ってからミハエルとラルフの一緒の記事一度も見てないや。
私は若干のあまのじゃくなもので。兄のミハエルよりラルフのほうが好きです
ミハエルの影響でカートを始め、順調にステップアップしていきます。
95年にドイツF3でシリーズ2位を獲得後(マカオでは優勝)、F3は卒業。ミハエルの勧めもあったらしく
翌96年には活動の場を日本へ移します。この際ミハエルは何故ラルフに日本行きを勧めたのか??
すごく気になります。もしかしたら、別に勧めていなかったのかもしれません。 日本、滞在時は
JGTC(現在のスーパーGTの前身)と開催初年度のフォーミュラーニッポンで活躍。 1年で日本から離れる事に。
97年、ジョーダンからF1デビュー。表彰台にも上がり、まぁまぁなデビューイヤーだったのではないでしょうか?
99年にはワークスのルノーエンジンを失って2年目のウィリアムズへ移籍、この際もミハエルの勧めがあったとか
なかったとか・・・。 翌2000年にチームはBMWエンジンを獲得、チームメイトには新人のジェンソン・バトンが
入り、スポンサーにはコンパック(パソコンメーカー)が付きマシンやチームウェアなど前年までとはカラ―が一新
されるます。(現在もウィりアムズはこの紺と白が基調である)
ジョーダン→ウィリアムズ→トヨタと渡り歩くラルフですが
個人的にはこの紺と白のウィリアムズが一番似合っていたと思います。01年もウィリアムズに残留しますが
チームメイトはファン・パブロ・モントーヤに変わり、F1デビュー年のフィジケラ以来のほぼ対等な立場の
チームメイトになります。今まではデイモン・ヒルだったりバトンだったりベテランかルーキーのどちらかでした。
結果、程よい刺激のなかでシーズンを過ごせたのか?3勝をあげます
翌年もチームとチームメイトは変わりませんでしたが、モントーヤに年間ランキングで抜かれてしまいます。
ここで、もう一度奮起して、モントーヤに決して主導権を渡さないような結果、雰囲気を出していれば、今現在でも
F1で走っていたかもしれません。03年、04年も変わらずウィリアムズから参戦、03年は2勝をあげるも
チャンピオン争いには程遠く、04年にはアメリカGPにて骨折するクラッシュをしてしまい数戦に渡り欠場。
この頃から、ウィリアムズは勝つ事が難しくなり、現在のようなポイント圏内の争いや
中段グループでの走りの余儀なくされます。翌05年はトヨタへ移籍、実際は、当時のトップドライバーたちが既に
他チームとの契約の済ませており、その後のレベルのドライバーと言えばラルフだったのかな?と
今では思います。トヨタはお金もいっぱい持っていたでしょうから。
ラルフはかなりの額の年俸を数年にわたり貰っていたはずです。年俸に気を良くしたのか、
2戦目のマレーシアを皮切りに着々とポイントを重ね、なんと日本GPではポールを獲得
年間ランキングでもチームメイトのヤルノ・トゥルーリを上回ります。翌06年はオーストラリアでの3位が唯一の
表彰台でシーズン通してふるわず・・・。翌07年はトヨタ在籍3年目で結果がでなくても貰える高額年俸に
なれたのか?やる気がないのか?後方グリッドからのスタートが多く、この年限りでトヨタ離脱を発表します。
ここでラルフにとって誤算だったのが、周りのチームがラルフの離脱の発表を受けてもあまり関心を示さなかった
事。私は中団グループをかき回してくれるドライバーとしてラルフに残ってほしかったのですが・・・。
現在のトゥルーリやバリチェロなどベテランの苦戦を見ていると、結局ラルフは生き残れなかったな・・・。と
むしろ、後にトヨタがF1撤退したことを考えると、お金を沢山もらえる内に、開発が休まる事なく進んでいる内に
トヨタを離脱できてよかったのかなとも思います。現在、ラルフはDTM(ドイツのツーリングカー選手権)に参戦中
ですが、相変わらず・・・、中団だったり、いきなり速かったりと波のあるドライバーであることは変わりなし。
でもそいういうドライバーって愛着わきませんか? トップドライバー以外が好きだったりすると、ちょっと通な気が
してきませんか? がんばれラルフ、いつか兄のアドバイスで?と言われない日が来ることを願ってます。
というか、F1の去ってからミハエルとラルフの一緒の記事一度も見てないや。
アイルトン・セナ。
レース好きの人以外でも知っている有名なドライバーですよね。
私がレースに興味を持ち始めた頃には彼はもう亡くなっていました。
ただ、ズームイン朝(日テレ)のトップニュースで福留さんが事故の事を話していたのは
覚えています。 F1は当時からフジテレビの放送でしたので、他局でトップで
流すのはとても異例の事だったのではないかと思います。
当たり前ですが私はセナと面識はありませんでしたし、走っている姿を見た事もありません
なので、彼がどれほどすごくて、どれほどの人気があったのかはレース結果以外は知りませんし
今では計り知る事はできませんが、当時の映像でフジテレビの放送スタッフの三宅アナ・今宮さん・川井さん
この3人が事故後、搬送先の病院でセナが亡くなったと伝えはじめ、泣きはじめたのを見ると
レース関係者にとってそれほどの物(者)を失ったのだなと・・・。伝わってきました。
F1ではセナ以降、死亡事故がおきていません。とても喜ばしい事ですし、これからもそうであって
ほしいと切に願います。 セナは死亡後、ブラジルへ飛行機で無言の帰国をしますが、この際、空軍機が出迎え
その後、国葬で天に召されます。 一、スポーツ選手が国葬でだびにふすというのは、日本人にとって
とても考えられない事ではないでしょうか?。 それほど、セナはブラジルにとって英雄的存在だったのでしょう
そう考えると、一度セナの生の走りを見ておきたかったなと思います。
レース好きの人以外でも知っている有名なドライバーですよね。
私がレースに興味を持ち始めた頃には彼はもう亡くなっていました。
ただ、ズームイン朝(日テレ)のトップニュースで福留さんが事故の事を話していたのは
覚えています。 F1は当時からフジテレビの放送でしたので、他局でトップで
流すのはとても異例の事だったのではないかと思います。
当たり前ですが私はセナと面識はありませんでしたし、走っている姿を見た事もありません
なので、彼がどれほどすごくて、どれほどの人気があったのかはレース結果以外は知りませんし
今では計り知る事はできませんが、当時の映像でフジテレビの放送スタッフの三宅アナ・今宮さん・川井さん
この3人が事故後、搬送先の病院でセナが亡くなったと伝えはじめ、泣きはじめたのを見ると
レース関係者にとってそれほどの物(者)を失ったのだなと・・・。伝わってきました。
F1ではセナ以降、死亡事故がおきていません。とても喜ばしい事ですし、これからもそうであって
ほしいと切に願います。 セナは死亡後、ブラジルへ飛行機で無言の帰国をしますが、この際、空軍機が出迎え
その後、国葬で天に召されます。 一、スポーツ選手が国葬でだびにふすというのは、日本人にとって
とても考えられない事ではないでしょうか?。 それほど、セナはブラジルにとって英雄的存在だったのでしょう
そう考えると、一度セナの生の走りを見ておきたかったなと思います。
車のレースが好きなバンです。
なんとなく、ブログはじめてみました。
ただ、レースを見る事が好きなだけで
メカの事とかはただの素人です
まぁーなんとなく書こうかなと。
なんとなく、ブログはじめてみました。
ただ、レースを見る事が好きなだけで
メカの事とかはただの素人です
まぁーなんとなく書こうかなと。