我が道、チャリンコ道にも大雪が降り始めた。天気予想からすれば、見事的中深さ五センチ程度だったが見る見るうちに積もる雪。通常の走りがさらに重く感ずる中でやもなく使用するタイヤは、もはやねこの世のものとは思えないほど丈夫な、ノンバンクタイヤである。愛しいことに多少の段差もなんのそのと日ごろの気持ちがさらにハイテンションになる雪景色。冬山を登山するのは、ご法度と誓った下山部で鍛えた、よりどころには、我が道、行く手を阻む通行人は、少なく。思わずいつもの調子でびょーんと段差を飛び越えるはずがいざしらず、完璧なる無抵抗地のまま、前輪をすべらせ、目の前の雪景色にひざまずく者の我がチャリンコは、後方で待機。自分だけが前に進むも、滑り転びながらも、藁をもつかむ思いで雪を握りしめ、ようやく止まった、すぐさま手に握る雪を下へ振り落とす。これが熱闘甲子園だったら、きっと負けて帰る思いは、そんな気持ちでいっぱいなのだろうとふと、空想科学の世界に入る。しかし、そこは、道路上。くしくも通行するマイカーは、少ないもののルームミラー越しで見て通りすがった。ハイカーたちは、いささか受けていたに違いない。とりあえず、元気な姿を見せるべく、何事もなかったような気持に入れ替え。再び、雪道を走るも。常に一寸先は、なにがおきるかわからん。そんな思いで所信忘れるべからずとは、こういう時に結構起きるのですね。しいては、とりとめのない行動は、あえて雪が降りしきるときこそ。家でおとなしく待機と放送等のご指摘があったばかりではあるが。そうした教訓を身をもって制することは、これこそ冬将軍様の到来ということであると思われる。それは、暑さ寒さも彼岸までというが、向こう岸へ渡る勇気こそ。常に若者たちが目指す事柄ではなかろうか。少年よ大志をいだけとはよくいったものである。私もそうした博学者のおつきについていれば、もう少し理解できる項目も増えたかもしれないが。また、これぞと思うことこそに精神を集中させることで前人未到の地が目の前に現れるということなのかもしれない。まだ誰も成し遂げていない事柄とは、およそ本の中からは、なかなか難しすぎて見つからないのかもしれない。そうです無の世界とは、およそ、何も考えずにいる。そういう世界に達することは、ことさら何もせずではなく。何も考える暇ももてあわせない。そんな素敵なものにであることこそ。至福な時ではなかろうか。ありがとうございます