主たる目標は、何のために皆が暮らしているかである。それぞれの分身の生物たちは、みな、自分の暮らし方を支えるのにせーいっぱいである。ところが自然の摂理に従えば、日本の場合。以前より物品には、たぐいまれな世界観で恵まれてきている。そのことは、人間が地球上に誕生し、まず、火の扱い方を覚えたのをきっかけに様々な食べ物が供給できるようになった。それ以前には、せいぜい木の実を割って食べるのが世の連れ。今年も我が家の甘がきは、木の上で完熟甘がきとなり、野生の小鳥たちが方々からつめより、今年もはやばや完売となった。鳥たちに取れば、人間の暮らし向きは、さどかしうらやましいに違いない。鳥たちは、手足がただでもぷきっちょな上にフライパンなどでパンを焼くこともできず。ただただ、冬の陣の中耐えしのいで生きているからである。しかし、人間の場合は、頓智で閃きたし物も、すぐさま実現に向けて、地表にある木をくりぬいて、丸木舟を作り、あの大海原でときおり、ジャンプするクロマグロをついに捕獲する技術まで会得した。それがゆえ、日本は、唯一アジア諸国の中でも、遊泳魚をいち早く食し、世界でもたぐいまれな、生魚から焼き魚までエトセトラ、もはや、食卓には、飾り付けられないほどの美味を並べることに成功したのだ。それを遠目で見ていた。味や諸国の皆様も見様見真似で海に出た。遠くは、日本のにひっ乖離地点近くに来て、イワシの群れ、そして、サンマの群れなど、日本における定番中の定番、もっともポピュラーな食べ物。庭の片隅で炭をたいて、七輪で焼いた魚の匂いは、日本のあらゆる家庭にの中にあった。ところが最近では、ナマいか様の姿をした、いか様がしいては、中身だけの姿。こちらイカ墨ともいわれる内臓なのですね。これがそのまま、トレーにのせられた姿を見た時についに、日本もここまで来たのかと感心しているのもつかの間の話である。イカ一匹の値段がイカ墨ならば、五匹分買えるが。どう考えても、内臓が内蔵というよりは、内臓しかない像というべきか。とても七輪で焼く気にもならず。そうした中、人類史上いかなるときにも、輝き続けなければならない。それこそ、せめて輝くためには、その日の暮らし向きが保証されていなければならず。最低限の保証とは、決してお金だけにとらわれず、日本における物品作用としては、ものすごく贅沢な商品が絢爛美々にそこいらじゅうにあるのに対して、それらを生かしきれず。ついには、年金暮らしが医療費を下回ってしまっている家庭もぞく室している様子。ならば、物品供給型にも着目し、人々の暮らし向きの底上げのために直接、支援物資を届ける作用を今のうちに稼働しておきたいのである。ごくごく一部では、融資代表者が先頭を切って、ボランティア活動ねNPO法人様など。活躍の場には、まだまだ、全国民に対しては、到底ゆきとどかず。いまかいまかと、まだかまだかと、首を長ーくしていてまっている。首長流もお待ちかね。ありがとうございます