その時から喪失感が止まない。仕事がまともに手に付かないでいる。一種の放心状態。
こんな経験は久しくない。東日本大震災以来と言ったら大げさだろうか。震災の数か月後に父が亡くなったがその時も父が高齢で入院を繰り返していたこともあり、こんな喪失感はなかった。
今朝、パソコンを開いて最初に見たFACEBOOKページに後藤騎手の笑顔があった。
先週土曜日に落馬して、翌日に京都で騎乗した時も普通に会話を交わした。ついさっきまで普段と変わらない日常にいた人物がいなくなる経験は久しくなかった。
後藤騎手と初めて身近に接したのは今から23年前の5月。後藤騎手がデビューした2か月後だった。1992年5月3日。後藤騎手は3歳未勝利戦で2勝目を挙げた。勝った馬は10番人気のプリティセイラー。逃げた1番人気の岡部騎手と2番手を進んだ2番人気の蛯名騎手の馬をゴール前で捉えての勝利だった。
新人騎手の勝利ということで個人的な趣味で取材に降りた僕はまだ勝利の実感を表情に出していないキョトンとした顔の後藤騎手を初めて至近距離で見た。勝利馬を管理する国枝栄調教師は「ヒロキはヒロキでもこっちヒロキのかあ」と当時売出し中だった橋本広喜騎手のことを持ち出して冗談まじりに愛馬を勝利に導いた新人騎手を迎えていた。そうか、僕も国枝さんも30代だったのか・・・。
その後、後藤騎手と親しくお付き合いさせていただいたことはない。僕はアナウンサーとしては全くダメな人間で人付き合いといったことが大変苦手なタイプ。取材対象との付き合いを深くできないタイプなのだ。
直接ではないが、後藤騎手については新人時代に所属した厩舎の調教師伊藤正徳さんに今となっては恥ずかしいが偉そうに話した覚えがある。
当時、後藤騎手は伊藤さんの厩舎から疎遠になっていた。後藤騎手がいたころの伊藤調教師は自分が受けてきた教育そのものの鉄拳制裁をふるうことがあった。うまく調教できなかった新人後藤騎手に対して報道関係者の目の前で鉄拳をふるったこともあった。そんなこともあって後藤騎手は厩舎を離れたのだと言う人もいた。
それでも僕はその後の後藤騎手の言動などを遠巻きに聞いていて理由は今もってわからないが何故か確信めいたものを感じていた。それを生意気にも伊藤さんに伝えたのだった。
「後藤君は絶対に将来、先生のところに戻って来ますよ」
それから数年経って後藤騎手はまた伊藤厩舎の馬に跨り伊藤さんと笑顔で会話するようになった。
僕が後藤騎手と少しは親しくさせて頂くようになったのはごく最近のこと。一昨年の夏、後藤騎手が落馬負傷によって長期の休業状態になっていた時だった。
北海道のテレビ局のゲストに呼ばれてた後藤騎手と函館からの飛行機で隣り合わせの席になった。どんなに付き合いが苦手な僕でも隣の席にジョッキーが来たら当然のことながら礼儀として会話を交わす。リハビリのこと。同じくリハビリに入っていた佐藤哲三騎手のこと。後輩騎手の騎乗についての批評。後藤騎手は騎乗や怪我については素人同然の僕にとてもわかりやすい表現で丁寧に話してくれた。
以来、取材先でも少しだけだが会話を交わすようになった。短い会話の中でも示唆に富んだ話を聞かせてもらえる貴重な存在となっていた。FACEBOOKページを公式に始めた時も真っ先に友達にさせて頂いた。
先週土曜日。ダイヤモンドステークスでまたもや後藤騎手は落馬し負傷した。しかし、その翌日は予定通り京都競馬場で騎乗。
最初の騎乗だった第3レースの後、僕は検量室に降りて後藤騎手の話を聞いた。
「(普通に騎乗している姿を見て)ホッとしましたよ」と言うと、後藤騎手は「みんなにまた心配かけちゃって・・・」と、はにかんだような表情ですまなそうに話した。額には落馬した時にヘルメットの端でもぶつかったのだろう大き目の痣が残っていた。
「痛みはないですか?」とは訊かなかった。「痛い」なんて言わないことは分かっているから。
その日、後藤騎手は2勝。それぞれ2番人気、1番人気の馬だった。人気馬をきっちり勝たせたわけだ。最後の2つのレースは4番人気で大敗を喫したが、そこそこの人気馬で大敗することは競馬では別に珍しいことではない。
その後のFACEBOOKページには、落馬後の診断のこと、週末の競馬に向けてのトレーニングのことなどが笑顔の写真と共に連日掲載されていた。
それが、突然・・・。
伝えられるように後藤騎手は本当に自ら死を選んだのだろうか?まだ信じられないでいる。だって理由が全く思い浮かばないのだ。
そして、自死を前提に彼の人生についてあれこれ憶測する僕の周囲の人々の言動に全く着いていけないでいる。貴方たちは彼について何を知っているというのですか?
ご家族をはじめ、残された人たちのことを思うと切なさが止まらない。
後藤騎手を知る人は皆同じだと思うが、今日は仕事をしながら彼の笑顔が頭の中に浮かんで来て手がそして思考が止まってしまうのだった。
後藤さん、安らかにお休みください。