サイボウズさんの勉強会の続きです。

社会的養護の勉強会は施設や里子経験のある子の参加も多く、
リアルな声を聞けるのも私にとっては貴重な機会です。
久々に当事者の方の言葉を聞いて、帰りの電車で涙が止まらなかったので
ここで書かせてください。
話としては簡単に書くとこんな感じです。
とある(当事者ではない)参加者さんのエピソードで、
10年ぐらい、施設に居た子と連絡をとっていたが、ある日から取れなくなった話がありました。
「それって次に頼れる人ができたから、なんじゃないかな」
私はそう思って聞いていました。
でもその彼女のコメントは違いました。
========
「失望Boxに入れられちゃったんじゃない?あなたが。
ほら、(私達にとって)大人って信用できない人がいっぱいだから。」
========
失望Boxなんて言葉、初めて聞きました。
自分も人生で一番の絶望を抱えた時は、家族をその失望Boxに入れるのかな・・?
想像を絶する感覚でした。
(いつも当事者の子たちの直接の言葉をきくと、こういう表現にしかならないのです。
もどかしいです。)
亜美さんが共有してくださった、
父子家庭の子が16歳で初めて靴下を(職員さんに)履かせてもらって
嬉しかった出来事。
それに対して、自分は子どもたちに何不自由なくものを買い与え、
毎日「幸せだね」と言って一緒に過ごしていること。
もう最初の始まりからすべてが違いすぎて、
その後の人生を子どもの責任に押し付けるなんてやめようよ。
そう言うしかできませんでした。
=======
電車の中では失望Boxの意味をいろいろ考えながら帰っていましたが、
最後にあみさんからの力強い言葉は今日一番の私を支える言葉になりました。
既存の枠組みなんて壊していけばいい。(リスク、非難、批判も)
それでも既存がくそくらえと思うなら、「やりたいな」は誰でも言える。
誰もやってくれないからやるしかない。
自分が社会的養護を追い出されても。
でも、こんなふうに活動を続けられるのは、自分を好きでいられるから。
自分の生活があるから、子どもを大切にできる。
=======
私は福祉のプロじゃないからなのか、
話を聞くといつもものすごく引きずってしまいます。
だからこそ自分の家族や生活の時間を大切に、
自分のペースを大事にして、長くRACを続けたい。
そう思った勉強会でした。
あみさんの方弁、好きですね。
関西人のみなさんが思いっきり笑いをとっていくのに
自分ができず残念、笑。
とても素敵な回だったらのまた参加したいです!
最近、自分はやっぱり
子どもが命を断ってしまいたい、と思う瞬間に
側にいて、追いかけて手を離さない
家族みたいな人になりたいんだ、と強く思うようになりました。
大人が気づけないんだけど、SOSを出している子ども、
うまく声を挙げられない、透明の存在の子どもを
私達の世代で止めなきゃいけない。
子どもたちの寝顔をみてがんばろうと思います!