歴史における民族混交 | 方丈随想録

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かつて東京大学に木村尚三郎という西洋史の碩学がおられた。ラジオに木村先生が登場してフランスの歴史について話されていたことが記憶に残っている。

その話の中で、木村先生がある日フランスの小学校を見学し、授業を見せてもらったそうだ。その時の印象として、子どもの頭髪の色が様々だったという。木村先生はその理由を説明して、フランスで種々の民族が混交した結果であると言われた。更に先生が言われるには、フランス人は上の毛の色と下の毛の色が違う人もいるそうである。それを先生自身の目で確認されたかどうか説明はなかったが。

世界史は民族の栄枯盛衰の過程という側面があるが、民族の混交を遺伝子的に説明することはほとんどない。現在のフランス人であれば、かつてケルト系のガリア人がローマ人に征服され、その後ブルグンドやフランクに征服され、更にノルマンに征服された。イギリスでもブリトン人にローマ人やアングロ・サクソン人、ノルマン人の血が入っている。こうした混交はユーラシア大陸において広く生じたはずである。

現在「トルキスタン」と呼ばれている広大な地域は、かつてはアーリアン、すなわちヨーロッパ人に近似した白人が住んでいた。ところが、モンゴル高原西部に住んでいたトルコ人に征服され「トルキスタン」と称されるようになった。現在のトルコ共和国のトルコ人にしてもそうなのだ。小生が子どもの頃、テレビに「ロイ=ジェームズ」という外国人の司会が登場していた。風貌からしててっきりアメリカ人だろうと思っていたが、実はトルコ人だった。古代からアナトリア高原にはガリア人が住んでいたという。フランス人のベースを形作っている民族と同族の民族がアナトリア高原に住んでいたわけだ。そこに11世紀ころにセルジューク=トルコが侵入し、かくてトルコ人と現地の白人との間に混血が行われた。言語はトルコ語だが、身体的にはヨーロッパ人なのだ。新疆ウィグル自治区のウィグル人も同様だろう。

ところがである、異民族間の混血が行われたとして一組の男女が結婚しなくては子どもは育たない。遭遇した異民族の男女の間でどのような出会いがあり、それが婚姻として成立していったのか。それが分からない。恐らく記録として残っていないのだ。征服した側の男が被征服側の女を一方的に強姦したとすれば、そこから生まれた子どもは遺棄された可能性が高いから混血民族は形成されないと考えられる。征服した側の女の立場はどうなのかと考えることも大切だ。

現在の日本も外国人が増え、国際結婚が増えているという。しかし、一部の外国人は永住権や日本国籍をとるために日本人と結婚しようと考え、短絡的に日本人の娘を強姦して自分が支配できれば達成できると考えているらしい。クルド青年の事件が報道されていたわけだが、在日クルド人にそんな考えがあるとすれば、彼らは早晩日本から一掃されることだろう。