やはりキーワードは「持続可能性」だ | 方丈随想録

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習近平が推し進めた「一帯一路」と「中国製造2025」は実質的に崩壊した。経済的にも軍事的にもアメリカに肩を並べ、少なくとも東半球、あわよくば西半球でも覇権を握ろうと画策したのだ。ところがどっこい、中国から多額の借金をした発展途上国はデフォルト状態に陥り、イタリアは「一帯一路」から離脱、アルゼンチンも親中から親米に切替わった。それに加えて米中経済摩擦とコロナ騒動により工業生産が傾き始め、不動産バブルの崩壊と、それに連鎖しての金融危機が始まっている。

最近中国は、2023年の経済成長率は5.2%だったと発表したが、中国に忖度する日本のメディア以外は信じていないだろう。中国は既にデフレスパイラルに入り、回復の道は全く見えない。日本はバブル崩壊後「失われた30年」に突入したが、中国は「失われた1世紀」に突入したのだ。日本の場合、GDP500兆円に対して不良債権100兆円で、不良債権の対GDP比率は20%だが、中国の場合、2023年のGDPは公称2500兆円に対し不良債権は京単位の額に達するという。GDPも相当水増しが予想されるから、中国の不良債権の対GDP比率は400%以上ということになる。今後100年かかっても処理できないわけだ。だから、中国で給料の支払い停止や大幅な減額が行われているのも頷ける。習近平が口にした「共同富裕」というのは「共同貧困」の意味だった。

中国の「改革開放」はかくて失敗したのだが、それは同時に中国共産党支配の挫折でもある。中国はアメリカに代わる覇権国家になるつもりが、「共同貧困」をモットーとする14億人のアウタルキー国家になるわけだ。それは中国が意図したものではないにせよ、自らが結果的に選択したものである。矛盾した表現だが、ヘーゲルの「理性の狡知」による歴史的必然だった。

ソ連は崩壊し、中共も集団化で失敗、次いで「社会主義市場経済」政策で失敗とくれば、社会主義国家には持続可能性が無いか乏しいわけだ。一般的に、人間がつくった体制で古代、中世から続いているものはない。徳川家康がつくった幕藩体制は比較的長かったが、それも300年はもたなかった。ソ連は70年余り、ナチスは12年だった。「持続」するように見えて「持続可能性」が乏しかったのだ。

ローマ帝国は前753年に成立して西ローマ帝国が476年に滅びるまでに1200年間存続した。東ローマ帝国の滅亡時の1453年までを足すと2200年となる。アメリカは独立から250年程度だが世界の覇者になっている。しかし伝え聞くところによると、貧富の格差、人種間の軋轢、権利を巡っての政治や法的な争い、そして日常的な暴力や薬物汚染によってアメリカ社会そのものの「持続可能性」が問われている。日本でも政治家の醜聞、世襲政治家の増加、反日的政治家の跳梁跋扈によって閉塞感が強まっている。世界最強の軍事大国のアメリカも、自国の社会の崩壊によって解体する可能性はある。翻って日本は大丈夫だろうか。日本の社会が安定し、統一性を維持できれば今後1000年でも2000年でも続くだろう。社会を壊す動きを冷静に見極め、修正する作業を行うことによって日本の「持続可能性」を維持しなくてはならない。「持続可能」は「発展」に結びつけるのは近視眼的で、「持続可能的社会」こそが重要なのだ。