今日は小学校開校の日 | ラベンダーのお庭

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私の興味と関心のおもむくままに、聞いた話や、
心が軽くなるお話を書いていきたいと思っています。

 

 こんにちは。

 

 ラベンダーのお庭にようこそ。

 

 今日は、「尋常小学校の思い出」と題して、

 

 今は、教科書からなくなった、あるお話をしたいと思います。

 

 

 

 

小学生のときの一番の思い出は?

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 昔、昔、あるところに、「たじまもり」という方がいらっしゃいました。
 
 『田道間守(『前賢故実』より)

 

 田道間守(たじまもり/たぢまもり)は、

 

 記紀(きき=日本書紀と古事記)に伝わる古代日本の人物。

 

 『日本書紀』では「田道間守」、

 

 『古事記』では「多遅摩毛理」「多遅麻毛理」と表記される。

 

 天日槍の後裔で、三宅連(三宅氏)祖。

 

 現在は菓子の神は・菓祖としても信仰される。』

 

 

 みかんは果物ですが、

 

 果物そのものを乾燥させたものを「お菓子」として

 

 昔の方は召し上がっていたからでしょうか。

 

 今は、お菓子の祖として、神さまとなっているのですね。

 

 

 

 『日本書紀』垂仁天皇紀によれば、垂仁天皇90年2月1日に

 

 田道間守は天皇の命により「非時香菓(ときじくのかくのみ)」

 

 すなわちタチバナ(橘)を求めに常世国に派遣された。

 

 しかし垂仁天皇99年7月1日天皇は崩御する。

 

 翌年(景行天皇元年)3月12日、

 

 田道間守は非時香菓8竿8縵(やほこやかげ:竿・縵は助数詞で、

 

 葉をとった8枝・葉のついた8枝の意味)を持って

 

 常世国から帰ってきたが、天皇がすでに崩御したことを聞き、

 

 嘆き悲しんで天皇の陵で自殺したという。』

 

 

 

 同じようなお話は、古事記にも載っています。

 

 

 

 『古事記』垂仁天皇段によれば、

 

 多遅摩毛理は「登岐士玖能迦玖能木実(ときじくのかくのこのみ)」

 

 (同じく橘)を求めに常世国に遣わされた。

 

 多遅摩毛理は常世国に着くとその実を取り、縵8縵・矛8矛を持って

 

 帰ってきた。

 

 しかしその間に天皇は崩御していたため、縵4縵・矛4矛を分けて

 

 大后に献上し、もう縵4縵・矛4矛を天皇の陵の入り口に供え置いて

 

 泣き叫んだが、その末に遂に死んだという。

 

 そのほか、『万葉集』巻18 4063番では田道間守の派遣伝承を

 

 前提とした歌が、巻18 4111番(反歌4112番)では田道間守を

 

 題材とする歌が載せられている。』

 
 
 ちなみにこのお話にちなんだ文部省の唱歌があります。
 
 
 
 みかんって、そんな思いをして日本に入ってきた果物なのかと、
 
 昔、感じた記憶があります。
 
 
 
 今日は、たしか尋常小学校の教科書に書かれていたお話。
 
 しかも、今、知る人は、ほとんどいないはずのお話。
 
 
 
 とても有名なお話で、尋常小学校に通っていた方は、みんな
 
 知っているお話なのです。
 
 
 今は、ほんとうに知る人そのものが、ほとんどいなくなったので、
 
 少しお話させていただきました。
 
 
 
 
 「時を知らずして咲く花と果物」で、「ときじくのみ」。
 
 
 
 みかんは、みんな実をつけおわった冬に実をつけますよね。
 
 だから、時を知らない実なのですね。
 
 
 
 しかも栄養としても、たくさん取りたい、ビタミンCが豊富だし。
 
 
 ほかの果物を食べたくても、時期が違っていたら、無理ですよね。
 
 
 
 果物が食べられない冬に豊富に実る、ありがたさ。
 
 
 その「みかん」のビタミンCが、寿命を延ばすということを、
 
 こんなふうに表現したのだと思います。
 
 
 
 
 
 読んでいただき、ありがとうございます。