誕生日は日本の大復興のはじまりだった | 自分の人生だもの。「自分を生ききる、生き抜く」

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「手をつなごう、みんな仲間!」がスローガンの「ラビッツ村」
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暖かな居場所で 手と手をつなぎ 心に明かりを灯す
★ビジョン
ありのままの 自然な笑顔があふれる 社会を創り出す

私の誕生日は3月12日。

いつもと同じ誕生日前日を迎え仕事の約束のために外出する寸前の出来事だった。

うちはトラックが通ると地震?と思うほどに揺れるので最初は、「またか」だった。

すぐに、これはただ事ではない揺れだとわかった。


物が落ちてきて、テーブルの下に隠れるのに精一杯。

かつてない大きな揺れに恐怖で体は硬直し手は震えた。


外出をやめてテレビをつけると・・。目を疑うような今まで見たことがない映像が。

こんなことって・・。言葉もなかった。


翌日の新聞は、大きな文字で、「東日本で巨大地震」の文字。

余震のたびに恐怖が蘇って震えた。

しかし、私は生かされた。

被災にあわれた方のことを思うと私の恐怖なんて、なんてことないことだ。

うちのモニターさんは大丈夫だろうか・・。そればかり考えていた。

あれから毎日、心配で心配で新聞を読むたびに、映像を見るたびに心が痛い。


そう、私は全国のモニターさんに支えられながらラビッツ・コーコという会社をやっている。

いつもいつもモニターさんに支えられて生かさせていただいてきた。

お逢いしたこともない方がほとんどだけど、皆さんとてもいい方ばかり。

どうぞ、ご無事でありますようにと心から祈っている。祈ることしかできない・・。


リーマンショックのあとからこの2年。とても苦しい出来事ばかりが続いた。

もう駄目かも・・と思ったことは何度もあったけど、でも私は諦めなかった。

モニターさんからの励ましの言葉を支えにしてきた。


今の私は無力で情けないけど、これからは、支えていただいたモニターさんのためにも、

少しでも支援できる会社にしていこうと誓った。


私の誕生日は、日本の大復興のはじまりだった。

生かされた命。この出来事があって、これからの足跡をブログに綴っていこうと思い始めてみた。