2023年の3月11日、とうとう今年もこの日が来たと、私は自宅のベランダに出て空を見上げました。この日は雲ひとつない快晴でした。
ですが、この日の早朝5時過ぎに1度地震とその時の息子の声で目を覚ましており、その大地の揺れをベッドの上で感じながら、嗚呼、3.11を忘れるなってこれはきっと亡くなった方々からのメッセージなのだと、私はそう受け取りながらまた寝に就きました。
職場では私から3.11ですねと片っ端から話し掛けながらお仕事をし、そこからこの職場でも10年目までは数分前から音楽を流して社員全員で黙祷を捧げていた事を知れて、ここでもそうして10年間も気に掛けてくれていたのだなと心から感謝をし、そしてまた職場の仕事をしながらもちらちらと時計に目を配り、14時26分にひとり目を瞑り密かに黙祷を捧げました。
東北のお母さんにも毎年この日にメールをさせて頂いているのですが、お互いにあれから歳も取り、お母さんは1日を大事に生活をしていますと仰っていました。
過去に私が東北のボランティアを引退する時のお話になりますが、とあるひとりの東北のお母さんが私の手を握りながら、もう会えなくなるのねと泣いてくれました。また会う気でいましたが、先日にHitomiさんからそのお母さんが家族から離れ1人暮らしで亡くなっている事を聞いて、無理にでも会えばよかったと本当に今も後悔しています。
そのお話も東北のお母さんとメールでやり取りしていたので、お母さんもその事を含めて1日の大事さを痛感しているのだと思います。また会ったら私に話したい事が色々とあると仰ってくれたので、私もお母さんのお話は全部聞きたいので、同じく東北ボランティアの仲間であったHitomiさんも東北のお父さん含め会う日を計画して下さっているので、元気に会えたらなと思います。
何て言うか、毎年3.11を迎えると、あの時から時が止まったままの様に感じます。実際に、原子力緊急事態宣言・レベル7は未だに解除されていませんし、更には未だに子供達の甲状腺がんも原発のせいでないと国からは一切認知されていません。
私が出来る事は本当に無いのか、これからも自問自答しながら、そして、東北ボランティアで出逢えた奇跡を大切にしながら、これからも心は東北と共に生きてゆけたらと思っています。こんな事しか出来ないではなく、こんな事なら出来ると、亡くなったお母さんや他にも亡くなったボランティア仲間の方々の存在を私が受け継ぐつもりで、あの場の出会いに感謝しながら、そしてあの場で東北から避難された方々から逆に受けた沢山の愛情を、今度は悲しんでいる誰かに渡せる様に生きたいです。
とあるミュージシャンが言っていた、時間よ戻れ、皆逃げろ、と言う感情も急に沁みた1日でした。皆、今も心は東北で繋がっています、心は今もひとつです。SNSでの発信も10年目を境に急に減っていますが、減らさないで下さい。生きている私達にしか、当時、共に大地の揺れを感じた私達にしかもう伝承は出来ません。
諦めずに、そしてこれからも支え合いながら生きてゆくことの大切さを思い出して、そして、そうしてゆきましょう、これからも。
3.11、12年目。私は今も貴方を愛しています。これからも一緒に生きてゆきましょう、愛を込めて。
