「聖書」の主要な登場人物(存在)は、神とアダム、その長男カインと救世主である。
物語としては、神(=エル・シャダイ=ヤハウェ=エンキ)が自らの限定遺伝子を注入して創造したアダムの子カインに下した罰(7段階の罪)を、アダムのもう一系統から出現する救世主が昇華するという構成(戦い)である。
そこで、神がヒトに与えた、手段(恩賜武器)が「祈り」、すなわち、分散され不稼動化された遺伝子を修復・調和させる機能である。
「黙示録」の表現は、理解しがたいと感じる者もいるようだが、キホン、
「エゼキエル書」と同様に、次元ホログラム(VR)で描かれている。
「黙示録」は冒章と対応している。つまり、カインに課せられた7段階の罪を、「黙示録」において7段階(7つの龍)昇華する過程が描かれている。
勿論、「聖書」は神々白眉の科学者であるエンキによって下賜されたものだから、科学書として理解する必要がある。
つまり、繰り返しになるが、カインに埋め込まれた「長命遺伝子(旧型Z遺伝子、生命の樹の実)」が、進化した「短命遺伝子(新型Z遺伝子)」によって、昇華・深化する過程を指向したものである。
そういう意味で、再三再四言うように、「聖書」は「神話」ではなく、「神話予定説」なのである。
さらに付言すれば・・・「祈り」は、単なる宗教儀式や敬意の表現ではない。「黙示録」の厳格無比な表現でもわかる通り、科学書でもある「聖書」に感情の揺らぎはない。
「祈り」は「短命遺伝子(新型Z遺伝子)=修復・調和遺伝子」の進化のために与えられた武器でもあることを肝に銘じよう。