私は周りがドン引くほど
エヴァを観ると嗚咽を上げて泣く
 

 

自分では大人になり切れない碇シンジに

氣持ちがシンクロしてると思っていた

 

でも

劇場でも自宅でも

何度も何度も

テレビシリーズから観て

映画版も観て

 

本来ならシン・エヴァンゲリオンは

必要ない作品だと思ってた

テレビシリーズから

序、破、Q

ここまで観て分からない奴は

バカだと思ってた

 

確かに宗教色も強いし

それらを理解した上で観なきゃ

なんの事か分からんよね

 

だからシン・エヴァンゲリオン

庵野監督が全てのチルドレンにと宛てたのは

ここまで嚙み砕いて説明し

それを映画にまとめた監督の集大成だと思った

 

 

 

上記でも述べた通り

私は碇シンジとシンクロし

俯瞰的に観られず

シンジ目線で観ていた

 

 

 

 

だが

シン・エヴァンゲリオンを観ているうちに

シンジは大人になり

私は周りと私を隔てて

一人でいること

人のことをノイズと観ていた事に氣づき

 

私は

臆病で必要以上に人と距離を置き

孤独を知らないふりをし

自分を理解してくれた大切な存在に固執し

 

人の世界では出来ない

やり直しをしようとしていた

碇ゲンドウだったのだ

 
 

 
うっすら氣づいていた
 
逆襲のシャアで
甘ったれで
自分の氣持ちだけで
クェスに固執し
最後は
怒りを鎮められないまま
感情のままに
アムロの恋人を殺してしまったこと
 
 

 

父親でもあるブライト艦長に怒られてすねていた

ハサウェイが

 

 

大人になり

逆襲のシャアの時の十字架を背負い

戦っている

 

ファースト・ガンダム世代で

今までのロボットアニメとは違い

敵が怪物や異性人では無い

同じ人間なのに

地球に住んでる人間と

コロニーで住んでいる人間の差別意識や確執

 

人と人との戦い

 

これは

あの当時のロボットアニメでは

前衛的すぎて

一度、放送中止になったが

 

ガンダムが

後の

人型汎用ロボットアニメに

多大なる影響を与えた事は間違いではない

 

碇ゲンドウと同じように

成長と受け止めが出来ない男

シャア・アズナブル

自分に無い能力に憧れ

その能力を持つ恋人をアムロに取られ

こじらせちゃってる

顔と声を取ったら

ただの暴君クズなんだが

 

ガンダムの世界観とは

また違うエヴァ

 

私の世代では無いが

アンテナに引っ掛かり

50手前まで

ガッツりハマる沼になるとは

 

自分の世界と他人の世界を遮断し

他人の事を存在も言葉もノイズとしてたゲンドウ

私はシンジではなく

彼だった

 

そこに氣づけた私は

少しだけ大人になったのだろう

 

けど

大人になるというのは

少し淋しい今日この頃

 

みなさん、いかがお過ごしでしょうか

 

オマエみたいに朝から

オタ論ブチかます暇なんてねぇよ

ですよね

ごもっともです

 

口角あげて

無理せずボチボチいきましょう(´∀`*)