時間の経過と人との繋がりと社会 | 儚想R55

時間の経過と人との繋がりと社会

最近、私の周りで大事な人が

亡くなった、という話を

良く聞きます。

ただ、側にいて欲しいと言われ

夜中に駆け付けて朝までいたり

部屋にこもってしまった友人と

会わずに連絡を取ったり

そういう時、慰める言葉も

思いつかないし

何か慰めは違う気がして、結局

他愛のない話をしてしまう。

それで良いとも言われたけど

そうなのかな?

親友、家族、恋人…。

そんな人達が居なくなった世界

を、想像してみる。

私は今まで死に対して

触れた経験がまだほとんど無い。

もちろん、ニュースでは

毎日報道される事故や事件が

あるのだけど。

酷いな
可哀相だな
これからどうなるんだろう
募金でもしようかな

それくらい。

前にも書いた気がするけど

命の重さってのは実際に

触れてみないと分からない。

5分にも満たないニュースで

事件の経緯を伝えられても

その人達のことは

職業や年齢からしか汲めない。

まだ、本当の意味での

価値が分からない。

命の重さは同じ、というのも

今だにピンとこない。

そうらしい、という知識だけ。

けど、少なくとも

一人が亡くなれば、悲しむ人が

必ずいる、と信じたい。

それがどんな形であっても

人の繋がりの証であり

生きた証であり

生まれた意味

なんじゃないのかな。

まだまだヒヨッコの若造だから

未来の自分の考えは

今と違うかもしれないけど。

そう思いました。。

さっ、明日はお台場だ!

雨に濡れないといいなぁ♪