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photo by easylocum
「ポルシェのドイツ本社が社員に対して、社内のコンピューターなどから「Facebook」などのソーシャルネットワークサービスにアクセスするのを禁止する方針であることが判明した。」(MSNニュースより抜粋)


理由は機密漏洩を防ぐため、だそうです。

確かに、twitterで「新しいポルシェデザインなう」なんつってカースケッチまで上げちゃった日には目もあてられませんよね。

そこまではまぁありえないでしょうが、やはり会社としては当然、どんな些細な情報でも出てしまうと危ないのです。


米海兵隊でもtwitterやfacebookを禁止しているそうです。

大企業ではtwitterやfacebookなどのSNSを使用しちゃいけないってところが増えているらしいです。


自分も少し、控えなきゃいけないんですかね・・・。


元記事

http://car.jp.msn.com/news/business/article.aspx?cp-documentid=4453565


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ラビットコーポレーション、今日の作業のようす。

今日も今日とて、朝からたくさんのお客さまがやってきております。

自然と人が集まるのが他の会社と違うとこなのかな・・・。




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メーターを外しています。ここが外れるなんて想像もしなかったなぁ・・・。




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裏面から撮ってみたものです。

なんだかバースデーケーキみたいじゃないですか?

以外にカラフルで綺麗。



次はエンジンの作業をしているところへ!





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どーん。なんとこれ、22年も使っているエンジンだそう。

自分より3歳も年上・・・。先輩ですね。




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オーバーホール、という作業をしているらしい。

いまは部品一つ一つを丁寧に磨いています。

ゴミがつまっているので、しっかり綺麗にしてやらないと「トルクが変わってしまう」だとか。


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渋い。ほとんど磨かれて、ぴかぴかと光っていますが、

やはり22年の重みというのでしょうか、貫禄を感じます。

こうやって大切に大切使われて、車と末永い付き合いをしているんだなあと思うと、

なんだか嬉しい気持ちになりますね。

これからもずっと走り続けてほしいものです。

ポルシェのこと知らないからちょっと勉強してみるかなシリーズ。

今日はフェルディナント・ポルシェについて。息子と共にポルシェ社を創設した人です。


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彼はとても才能に溢れたエンジニアだったそうです。

10代の時に発電機を開発、さらに自分で自宅に電灯を灯すなど、クリエイティブな人間でした。


ポルシェは大学時代に、後の妻となるアロイジア・ケースに出会いました。

そして彼は、彼女と行った博物館で、馬力が弱く動かない車を見ました。

興味を持ったのか、彼はそれ以後、エンジンの開発に没頭したといいます。


ある日、当時彼が働いていた商工に、電気自動車(EV)の修理依頼がきます。

修理を依頼したのは、EV事業を手がけ始めていたヤーコプ・ローナー社の社長。

社長はポルシェの働きぶりを見て、自分の会社に引き抜きます。今でいうヘッドハンティングでしょうか。

当時からガソリン車が主流、というわけではなく、実は電気自動車(EV)もガソリン車も、同じように開発が進められていました。

EVというと、最近のもののように感じられるかもしれませんが、実は昔から発想はあったのです。

しかし結局、航行距離が短いことや、T型フォードの成功などによって、EVは市場から消滅していまいました。


ポルシェはローナー社の電気自動車を改良し、
ローナー・ポルシェという四輪駆動車を開発。

この車はパリ万博に出展され、なんとグランプリを受賞しました。


その功績からでしょうか、なんと彼はヒトラーに目をつけられます。

彼は、「廉価で高性能な国民車(VolksWagen)を作って欲しい」と依頼されました。

そしてできたのがKdfという車。これは後のフォルクスワーゲン・タイプ1(ビートル)です。

まさかあの可愛いフォルムの影に、ヒトラーやポルシェの存在があるとは思いませんでした。


やがて、ヒトラーに才を買われていたポルシェは戦車の開発に携わることになりました。

ここでも才能を発揮したのでしょうか、スターリンからも「ロシアで働かないか」というオファーを受けたそうです。


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ドイツが敗戦、戦争が終わり、兵器を設計していたポルシェは戦争協力者としてフランスに捕らえられます。

しかし、フランスにもポルシェのすごさが広まっていたのでしょう、

収監中のポルシェは、ルノー4CVの設計にアドバイスを求められました。
ビートルといい、色々な車に関っているなあ・・・と思います。

息子フェリー・ポルシェが保釈金100万フランを払い、やっと釈放されたポルシェ。

その後は健康状態がよくなく、会社は息子が取り仕切ったといいます。

ポルシェ356の成功を見た彼は、息子の成長ぶりを喜んだことでしょう。

小さなエンジン時速140kmものスピードをたたき出す356、当時その技術力の高さは驚かれたことだろうと思います。

彼は発展していくポルシェ社を見ながら、1950年、75歳で亡くなりました。