今日は気のおけない仲間であり、大切な友人が、

大垣まで訪ねて来てくれるので、駅まで迎えに行きました。

大垣駅の南口は表玄関だけど駅前再開発のため工事の真っ最中!

北口は再開発が進み、景観も見違えるほどに綺麗になりました。


友人は、早めに来て、大垣城を散策してきたとか…。

さすが、正解!


大垣市は、「芭蕉記念館」とやらを億単位で建設したのだが、

僕にとっては、意味不明の建造物。(苦)

三重県伊賀市の方に申し訳ない気持ちがする。


奥の細道むすびの地だからと言って、

大垣市が建設する建造物なのだろうか?


それはさておき、

大垣城は歴史上、意味のある重要なお城である。

外観の豪華さが無いから、ないがしろにされているのか?

そこは、関係者の方に聞いたことが無いので不明なのだが…。


大垣城は、信長、秀吉、家康、三成とも関係が深く、

赤穂浪士とも縁の深いお城である。


なにせ、天下分け目の、関ヶ原の合戦が始まる前まで、

大垣城で作戦を練っていたのは、石田三成だった。


そのまま、大垣城に居座られると攻めにくいので、

困り果てた徳川家康は、お得意の謀略を使って、

石田三成を、大垣城から追い出すことに、まんまと成功した!


その後の、関ヶ原の合戦での結末は、ご存知の通り。

もしも……そのまま、三成が大垣城を出なければ……。

タラレバを語ることは、ゴルも、歴史も、タブーですね。


赤穂浪士の話は、余りにも有名だが、

当時、赤穂へ嫁入りしたのは、大垣城十万石藩主の姫君だった。


さてさて、話を元に戻すと、

大垣城の外堀や内堀などを発掘して、

大垣城の周辺を再開発することが、

本来の、大垣市の観光にとっては、最重要課題のはず…。


大垣の地に存在する観光資源こそが、他者との差別化になる。

どこにでも有るものを、ズラリと並べたところで、

「観光したい」と思うはずが無いことは、

他県の、誰に聞いてみても明らかなはず。


ヒットのヒントは、現地現物にあり。