帰省のことって、いつの話だい? 今年の3月の話です…


ははは
まだブログを始めたばかりの頃、地元新潟に帰省した時のことを少しばかり書いたんですよ。
途中でほっぽったままで、もう続きを書かなくてもいいか〜と思ってたんですけど、自分の記録だし、最後まで書いちゃいます。
ここからの話はスピリチュアルな内容を多分に含みますので、苦手な方はご遠慮ください![]()
私が先生と呼んでいる方がいまして。
カウンセラーであり、霊能力者でもある方です。
ご縁があり、その先生とお会いしてから4年目になるんですが、まぁ〜私の思っていることをいつもすべて見抜かれます![]()
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最近も、私のかまってちゃんな部分をズバリ的確に言葉にされましてね
図星を指されて恥ずかしいのだけれど、嫌な気持ちにはなりません。
それは確かに事実ですし、かまってちゃんになるまでにはそれなりの理由が子供時代にあったからで、それを的確に言葉に表されると、そうか、私は子供時代にそんなことを思っていたのか…という気づきと納得が得られる。先生とのワークの中では、そういったことがよくあります。
その先生の言葉で印象的だったのが、「神様はあなたが出会う人の姿を借りて、あなたに気づきを与えてくれる」というもの。
この神様とは宗教的な意味合いではなく、けれどとても大いなる存在…という意味合いだと思います。私も先生のお話を聞いていると感覚的にはわかるような気がするのですが、言葉にはうまく表せません。
そして、「神様は優しい人の姿ばかりを借りるのではなく、あなたにとってつらいこと悲しいことも体験させる人の姿をして現れることもある」という言葉がさらに印象的でした。
その言葉を実感したのが、今年の3月に地元に帰省した時だったんですよね。
私には小学校時代、ずっと怖い存在の女の子がいましてね。
中学1年から不登校になったきっかけとも言える存在でした。
家が近所で、よく私の家に遊びに来ていたんですが、気を許せる仲良しではなかった。私のことを友達だと言うけれど、陰口を言っているのも知っていたし、面と向かって詰られたことも何度もありました。
けれど、そんなことはなかったようにまた家に遊びにきては、「こんな私でよかったらずっと友達でいてね」と言う…。
私はそんな彼女のことが理解できず、彼女の前に出ると、自分がよくわからなくなってしまうのでした。
彼女の機嫌を損ねないようにずっとヘラヘラ笑いながら、心の中では怯えていて、自分という人間を彼女の下に置いていました。
中学生になり、少しずつ少しずつ周囲の女の子たちから孤立していき、仲の良かった子たちが彼女と一緒に私の陰口を言っていることを知り、やがて不登校となりました。
大人になっても、人間関係に躓く時には、必ずと言っていいほど彼女のことを思い出しました。
これは彼女との関係性から始まっている。相手の機嫌を損ねないために、自分を相手より下の存在にしてしまう、習慣づいた思考回路。
そんな私のことを、相手が尊重してくれたことはありません。
それでも、地元から京都に出てきて、私のことを大切に思ってくれる同世代の友達と、人生の先輩たちと、そして夫と出会うことができて、自分はちゃんと人から大切に思われる存在なんだ、と感じることができるようになったと思います。
でも、なかなか自分で自分を愛せない。
自分なんて、いつだって脆弱で、堂々とできなくて、強いものに媚びていじめられないように立場を守ろうとする、そんな惨めな人間だという思考から抜け出せませんでした。
そんな中、「神様は優しい人の姿ばかりを借りるのではなく、あなたにとってつらいこと悲しいことを体験させる人の姿をして現れることもある」という先生の言葉を聞き、そして、そのすぐ後に地元に帰省したんです。
帰省して、30年以上ぶりですよ、1人で苦しい思い出のある道を歩きました。
つらかった思い出がまだリアルに思い出されました。
その時に、ごく自然に、(あぁ、神様はあの子の姿を借りていたのか…)と思ったんですよね。
私にとって彼女は、自分の尊厳を放棄する象徴でした。
大人になっても自分自身の尊厳を守ることができず、人からぞんざいに扱われて当然の人間に、自分を落としてしまうことを繰り返している。
その1番最初のきっかけが、彼女との関係性だった。
そうか…。私にも尊厳はあるんだ。自分の意志を尊重する権利があるんだ。
45歳にして、初めてちゃんと実感できたんですよ。
そう思うと、これまでうまく関係性を築けず、自分を道化のように差し出して機嫌を取ろうとしてきた人たちの前に立つたびに、神様から問いかけられていたのかな?って思ったんです。
自分の尊厳を捨てる方を選ぶか?
それとも守る方を選ぶか?って。
私は一度も守る方を選んだことはありませんでした。
尊厳を捨てることが生き延びることのように思っていましたから。
それを間違えていたから、何度も何度も彼女の存在が脳裏に浮かんだんだと思います。
私が選択しなければならなかったのは、自分の尊厳を守ること。
やっと、それに気づくことができました。
これが、神様が与える気づきなのかな…と思ったんです。
私が子供の頃最も傷つけられた相手の姿を借りてね。
「気づきをもらえたと思ったらお礼を言ってね。その人にお礼を言うのではなく、その人の姿を借りた神様に言えばいいんですよ」と先生に言われましたからね、ちゃんと「ありがとうございます」と言いましたよ![]()
脳裏にあるのは彼女の姿ですから、躊躇がなかったと言えば嘘になるけれど、でも、お礼を言えたことで一つ区切りができたと思います。
45歳にして、やっと、一つ大人になれたのかもしれません![]()
そんなことがあった、今年3月の帰省だったんです。
正直、生まれ故郷を懐かしむ気持ちもあまりなくてですね。
京都に来てから私の人生は大きく動いたと思っているし、愛する人たちもたくさんできました。
それでも、両親がいて、苦労しながら私を育ててくれた土地ですから、きっと愛はあるのだと思います。それは心の中で静かに眠っていれば十分なのではと思います![]()
今回のブログは自分の心の記録ですから、何も面白いことはなかったと思います。
読んでくださった方がいらっしゃいましたら、心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。
と、終わるように見せかけて、まだ続きます![]()
こちら、地元のイオンモールで買った自分用のお土産のドリップコーヒー![]()
とっても香りが良く、あっさりめで飲みやすくて、誰かにあげたくなるくらい美味しかったけど、結局全部1人で楽しみました![]()
そして、京都に戻る行程は、ほくほく線→日本海ひすいライン→北陸新幹線はくたか→北陸新幹線つるぎ→サンダーバードを乗り継いで帰りました。
日本海ひすいラインを初めて利用しましたが、乗客数の少ないワンマンカーでね。だけど最高だったのが、車内にトイレがついていたこと
乗り継ぎ時間がほぼなかったので、とっても助かりました![]()
いつもとは違うルートで帰ったので、新幹線の駅も初めて降りる駅でした。
ちょっとドキドキしましたが、新鮮で楽しいものですね、初めての駅も電車も。
日本海ひすいラインの運転士さんが、「これ◯◯行きですか?」と訊ねた私に、めっちゃ笑顔で「はいっ
行きますよ〜
」と答えてくれたのが心強すぎて、今でも心に残ってます(笑)
次に帰省した時にはどんなことを思うんだろう。
