『美しさ』というのは、一見絶対的なようでいて、実は多様な基準があるのではないかと、近頃思うようになりました。
これは例えば、時代、若しくは地域によってその価値基準が異なる、そういうことではありません。
同時代の同じ文化圏においても、謂わば一種の逆転現象でさえ起こり得る、ということです。
2013年に日本の和食がユネスコ無形文化遺産に登録されました。
懐石に代表される様式美と、器などへも拘りを持つ和食は、非常に強い美意識を感じさせる食文化です。
ここで求められる美しさというのは、フランス料理や中華料理で重視されがちな華美ではなく、空白を楽しむ侘びに通じる、正に日本的な美学の一面と云えるのではないでしょうか。
とはいえ、方向性に違いはあるものの、フレンチも中華も和食も、何かしらの『秩序』に則った美しさが重視されるというのは同じなのだと思います。
機能美という言葉があります。
ワタクシは何となく工業デザインを連想するのですが、具体的に挙げるなら、イームズの椅子などでしょうか。
本来デザインは機能を含む、という考え方があるので、そもそも機能美という言葉自体、無意味なのかもしれませんが、しかし機能に由来する美しさというのは、確かに存在し、そしてそれは一般的な美とは一線を画すこともあると思うのです。
例えば芸人に求められる美しさとは何なのか。
『笑われるのと笑わせるのは違う』などとも云いますし、更には『出オチ』という一種の蔑称もこざいますが、それでもしかし、その存在意義が『笑いを取ること』である以上、矢張り笑いを誘うフォルムが重んじられるという現実は在り、それがつまりお笑いの機能美(の一つ)とも云えるのではないでしょうか。
随分と前置きが長くなりましたが、ではラーメンにおける美しさとは、一体何なのでしょう。
現在二極化が激しく進んでいるラーメンのまず一つ目の極、これは間違い無くB級からの脱却を目指し、美しく盛り付けることに拘るタイプです。
我が神奈川では神奈川端麗と一頃呼ばれたカテゴリーなどもここに含まれます。
こちらが追求しているのは普遍的な美しさなのだと思います。
そしてもう一つの極、これは二郎系に代表される、脳髄を揺らすことに特化した、謂わば嗜好品型とも呼ぶべき一群です。
ここで求められるモノ、それこそが『嗜好品としての機能美』なのではないでしょうか。
旨みでえぐり
糖質で更にえぐり
脂質できっちり打ち抜く
ある意味、えげつない。
昨今では横浜のみならず、都内でも繁盛店を見掛けるようになった家系。
これらもそんな一派に含まれると思います。
先日行った、瀬谷の『四号家』。
こちらの一杯は、そういった家系の黎明期を支えた骨太さの名残を、存分に味わわせてくれます。
正に『美しい』。
暴論、付会に過ぎると思われる向きもありましょうが、しかし自身が作り手の端くれとなった今、こういった考え方が安易に看過出来ないのではないかと、つくづく思わされる今日この頃です。
ご馳走様でした。