2年前の、叔母のときにも感じましたが…
やっぱり、お葬式は慣れるものではありませんね。

一昨日に亡くなった叔父よりも
もっともっとお年を重ねた、おばあちゃまが
(私のお婆ちゃんではなく、近所のお婆ちゃんです)

「今年は7件の葬式に行った」
…と、いわれていて

「私も年は十分じゃけえ、いつ逝ってもおかしくないけぇ
ビックリされんようにしなきゃねぇ」
…と、笑っていました。(どっちかというと、苦笑いね)



叔母のときにも想いましたが
やっぱり、哀しくて寂しくて、想いが強く残るのは
「送る側」だなぁ…と。
(もちろん、先に逝く側も、想いは残るのかもだけども)

それも含めて

両親や、毎日関わるご縁の中で
想いを残さない生き方を…と、そう、しみじみ想います。

例えば、こころがスッキリしない
そんな関係性があったとして。

想いを引きずっている、何かがあったとして。

人生において
叶えたい、チャレンジしたい、という「想い」があったとして。

関わらずに、関わることをチャレンジせずに「後悔」するよりは
関わって、ぶつかって、何かを学んで、「味わった」ほうがいい。

(もしもそれが「その時に痛い」ことだったとしても
「後から悔やむ」を、長い間引きずるよりは、きっといい。)




「わたし」が、後悔しない、人生を。



そういう事だよね、と、しみじみと想いました。



明日は、初七日の法要です。(最近は、先にやっちゃうのね。)