先日の岐阜の旅での、後から出てきた情報の覚え書き、です♪


旅の後から、答え合わせをすることは

わたしにとって、とっても楽しい作業の一つ。


もちろん、してもしなくても関係はないのだけども

掘り下げて行く事によって、起こった事象や出遭った出来事や

訪れた土地に、より、感謝を想ったりするので。。。^^@


だからこそ、昨日に出逢った言葉の意味に

とても湧く湧くしたのかもだなぁ。


昨日は実は

咳き込みつつも(爆)岡山に1日セミナーにいっていたのだけども

そこで云われた「観光」の意味、が


わたしの中では「そうそうそう!!」的に、とっても腑に落ちて。


それは簡単に書くと、こんなカンジなのだけども。

(あ~~文字だけではニュアンス伝わらないかも~)


音は=光。

闇は、門の中に音(光)がある状態。


観音、という言葉は 「観る」 「音」 と書く。

それは全ての事の中に、「音=光」を観ている、ということ。


‥ということは

観光、ということは、光を観に行く、ということでもあり


旅先で出遭う出来事に「光を観て」いくこと、でもあるので

それは、観音行のひとつ、とも云えるのかもしれない。



*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆




さて。


まず一つ目


私たちが

大黒さんみたいな不思議なおじさまに逢いに行ったのは


10月31日の、ハロウィン。


ハロウィン

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AD%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3


ハロウィンは、元々

ケルト民族(ドルイドや精霊信仰)の収穫感謝祭が元だとも云われている。

(※ケルトの世界観は、日本の八百万の神と捉える意識と近しい。)


また

ケルトでは、31日は大晦日を、11月1日は元旦として扱われていた。


ケルトのサウィン祭
古代ケルトのドルイドの信仰では、新年の始まりは

冬の季節の始まりである11月1日のサウィン(Samhain)祭であった。

ちょうど短い日が新しい年の始まりを示していたように、日没は新しい日の始まりを意味していた。

したがって、この収穫祭は毎年10月31日の夜に始まった。

アイルランドと英国のドルイド祭司たちは、火をつけ、作物と動物の犠牲を捧げた。

また、ドルイド祭司たちが火のまわりで踊るとともに、太陽の季節が過ぎ去り、暗闇の季節が始まった。


11月1日の朝が来ると、ドルイド祭司は、各家庭にこの火から燃えさしを与えた。

各家族は、この火を家に持ち帰り、かまどの火を新しくつけて家を暖め、「妖精」(「シー(Sith)」と呼ばれる。

女の妖精はバンシーと呼ばれた)などの悪霊が入らないようにする。

というのも、1年のこの時期には、この世と霊界との間に目に見えない「門」が開き、この両方の世界の間で自由に行き来が可能となると信じられていたからである。


祭典ではかがり火が大きな役割を演じた。

村民たちは、屠殺した牛の骨を炎の上に投げ込んだ(「かがり火」を"bonfire"と呼ぶのは、これらの「骨火」に由来すると思われる)。

かがり火が燃え上がると、村人たちは他のすべての火を消した。

その後、各家族は厳粛にこの共通の炎から炉床に火をつけた。

これにより、村の各家族は1つにつながった。アイルランドでは今でも、毎年ハロウィンの夜には何百もの火が点けられている。

新異教主義者(Neopagans)は、今でもハロウィンの日には、世俗的なハロウィンに参加するとともに、サウェン祭を祝っている。



そして、二つ目。


私たちが、31日(大晦日)~11月1日(元旦)を過ごしたのは「恵那の温泉」


恵那の由来は「恵那山」から来ているのだろうと思います。

(‥あ。今、調べていたら「古代から郡名による」とありました。)


恵那山は、中央アルプス最南端に位置し、その山容は馬篭から望むのが美しいといわれる。文豪島崎藤村の作品にもしばしば登場し、麓の人々の暮らしにも深いかかわりを持つ山である。山頂は最高点ではなく、眺望もきかないが、明るく伸びやかな頂上で、三角点がその存在感を主張している。

山名の由来は

美濃の名山で、「胞衣山・舟覆山・横長岳・野熊山」などと別名が多い。

天照大神が産湯につかった時、その胞衣を山中に埋めたという伝説に由来する。


あと、こんな文章も見付けました


恵那

エナの地は イネよく稔る 川の国ち
恵那山麓から川が注ぎ込み
豊かな大地を作っている


エナ(恵那)は もともと江名(エナ)で大きな川の
ある水の国という説があります


恵那盆地は 木曽川の流域にあり 恵那山麓(ろく)から
何本かの川が支流としてそこへ注ぎ 
豊かな大地を作っているからです


また  エナ(恵那)は隣の長野県の伊那(イナ)と同じ意味だと言われます
伊那盆地は恵那と地形が似ているしエナとイナは音韻が通じているからです


 エナのもととなったイナ(稲)の古い語形です
したがってイナ(エナ)とはイネのよくとれた所であり

木曽川支流のイネどころ 恵那盆地を指したのでしょう
それもここが水の国であるからです


恵那は古い地名です
千三百年ほどの前の<美濃国司解>に恵那郡とでています

<天照大神が誕生の土岐の胞衣(エナ=胎児を包む膜と胎盤)を
納めたので胞山(エナサン)と<吉蘇志略 >にあり 
そこからエナ(恵那)の地名が生まれたと<恵那郡史>と言います

ここが日本創造の地と言うのでしょうか



こじつけではあるのですが

遠方のお国(ケルト)で、大晦日と元旦、と云われている日に

恵那(胞衣)の地で、温泉(産湯?)に入っている‥と考えてみると

なかなか面白いですし、そのシンボリックな部分がとても興味深いですわ~



そして、三つ目。


恵那の地で、川を遡る鯉を観ていて出てきた「キィワード」


「鯉が変じて龍と成る」


<登竜門> <とうりゅうもん・とうりょうもん>

「龍門」は中国の黄河上流の急流で、今の山西省にある。龍門峡。
「そこに集まる多くの鯉のうち、もし登るものがあれば、龍と化すだろう」との言い伝えから、本来は龍門を登る事を言う。

「六六変じて九九鱗となる」 鯉が龍になる事を言う。鯉の事を六六魚(りくりくぎょ)と呼ぶが、これは鯉の側線を形成する鱗の数が6の平方である36枚前後ある事に由来している。
一方、龍は9を平方した81枚の鱗を持つをされ、最高の徳を象徴する聖獣であると考えられている。


‥で、ここで私にしては珍しく「龍」のキィワードを思った訳で。


(基本的には四神聖獣等の世界は、とても好きなんですが

あまり口に出して云う事はしないようにシテイマス^^@‥なんとなく、ですが(笑))


んで。

わたしの地球で働いている「龍」というエネルギー体に対しての解釈は

純粋たる「自然霊(神)的な、エネルギー体」として捉えています。


そういった意味では、私は自然エネルギー体のことは

龍脈(地脈の流れ)、龍穴(土地のエネルギースポット=人間で云えばツボ的な。)な

意味あいで、いまのところは、捉えていますね~。

(実際には稲光に似ているカンジ(高濃度の気の塊)で、見えたりするらしいですし)




え~~~~と、四つ目。


そんなこんなで、ドラゴン21。


ここでは「龍」と「卵(胞衣・産まれる)」のシンボルが

今度はリアル造形物として、でで~ん!と(爆)


雌雄、という部分では

31日に、御会いしていたおじさまとの会話とも

もんのすごく、ぴったりのシンクロで。


そして「竜吠の滝」自体の伝説も、滝に住んでいた「雌雄の龍」が

「天に昇っていった」という表現。


全体的に

「レベルアップ」とか

「地力のアップ」とか

「殻を破る」とか

「産まれる」とか

「次のステージ」とか

そんなシンボルが見えますねん。


※あ、モチロンこれは「シンボル」であって

「事を成す」のは自分の言葉と、行為と、心、ですよ!




そして、五つ目。


最後に温泉に入った地名は「瑞波市」

日帰り温泉の名前は「百狐温泉」


瑞波市の意味は、下記に。


瑞浪市


水南 瑞穂波打つ 瑞浪村
みずみなみ 

土岐川の南の米どころ
今や都市の花ひらく


瑞浪市のミズナミには 二つの意味があるといいます
ひとつは <水の南の村>であり
もう一つは<瑞穂の浪打つ村>であります


明治30年に 土岐郡の寺洞戸(てらかわど) 小田 山田の
三つの村が合併し 瑞浪村という全く新しい地名が生まれました

三つの村が土岐川の南にあり 川南村にするか
生活を潤す水の南で ミズナミにするか論議があったようです


その土岐に<ミズミナミより ミズナミの方が発音も
よどみがなくて美しい>となりました


そして<ミズナミンなら水南より 瑞浪と書こう
瑞穂(みずほ)の浪打つ豊かな村 米づくりの瑞穂村!
これはいい>とみんなが大いに賛成したと 今に伝わっています



そして、私たちが白狐温泉を選んだ理由は‥

倉稲魂神(うがのみたま)を思い出したから。


うがのみたま

宇迦之御魂 宇賀之御魂 =倉稲魂;稲魂 〔後世「うが」と濁音〕 稲の穀霊を神としてあがめたもの。

のち、五穀をつかさどる神とされた。

伊勢神宮外宮の祭神、豊宇気姫命の別名。また、稲荷(いなり)信仰の祭神。


そう!


今回の岐阜に行く要である「出逢い」があったおじさまとは

京都の元伊勢 籠神社 で、出逢ったわけなのです。


そして、籠神社 の御祭神は「豊宇気姫命」なのです。


※ちなみに伊勢神宮に奉られている外宮の祭神、豊宇気姫命は

「籠神社」から勧誘されたのです。


それを思うと、この地名の意味もなかなかイイカンジにそぐっています。

「瑞穂の浪打つ村」

瑞穂=稲穂、ですものね♪




ふふふ♪

ほぅら、素敵にお話が、まぁ~るく繋がってきましたねん^^@



・・・・・・・・。



こうやって、その時点には

観え無かったことも、後から観なおしてみると、色々が観えてきます。


目に映る事象、起こる事象は

すべてすべて、繋がっているんです。


‥だけど、見えない部分の情報を、感じたり観たからといって

空想的な部分に思考が飛んで行くわけでは、アリマセン。


例えていうなれば

これは、ただの「自分の状態の確認」。


シンクロニティ等(共時性)も、それ自体は決して特別ではなく

(むしろ、たぶんあれは、何事にも囚われていない場合本来の「日常」なんでしょうね~)


引き寄せの法則の結果に起こった、事象だったり

今の自分の立ち位置の、確認だったりします。


そして、今の自分そのものを表している場合も、だったりもします。

もちろんこれは、受け取り側の、意識次第だと思いますけども。



そして

もちろんこれらは、私にとって


「心から有り難う御座います」な出来事ばかりなのです♪




ふふふ♪

今回は、あまり書かない方向の事を書いてみました。


まぁ、こういう事、公開ブログで書いてもいいかなぁ‥と

想えるようになったということは、ひとつの成長でもあるかなぁ?(笑)



中心には「凛とした涼やかな流れ」を

芯から根っこには「円満な歓びの歌」を


自分に意識的に覚えこませつつ‥

さて、次に繋がる展開が‥色々楽しみ!ですね^^@




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