続き物の後半日記です(笑)
前半は、こちら^^@
http://ameblo.jp/ra-kuu/entry-10366750921.html
さて、何時「夢」を諦めたのか?
自分自身に、その部分を思い返してみると…
何パターンか、思いあたることがあります。
あ。
先に書いておきますが
「なりたい私=夢」という想像を「持ち続けれなかった」ということが
決して悪い訳ではなくて、ここで確認しようとしているのは…
未来へと繋がる、沢山の「選択肢」の中で
どんなパターンで、その「選択肢」を、確定してきたのか、ということ
その部分を思い返してみると
パターン・そのいち→
成長していくにつれ、自分が其処まで、熱く興味が燃えなかった(笑)
パターン・そのに→
親に、「出来ない」「無理」、と、反対された。
その結果、軽々と、その方向性を見限った。
パターン・そのさん→
興味や、「好き」はとてもあったが、勉強途中、もしくは目指している途中で
自分には無理だと決めた。もしくは「職業」にする、ということを、諦めた。
(だけど今も、もちろん、この「好きなことをしている=創作活動」と、湧く湧くします~ヨ!( ̄▽+ ̄*))
大まかに分けてみると、こんなもんだろうかなぁ?
改めて書き出してみると
最後に「諦めた」という結末の多いことに、とても笑えてしまいます(笑)
特に、パターン・そのさん、の
好きなことを仕事に…という部分に関すると
途中までは、目指していたのだけども、先にかかる長い時間を
つい想像してしまい、自分には能力が無い、と言い聞かせて無難な路を取る方向に…
↑
だけども、この「無難な路」という部分は
長いモノに巻かれていると安心、的な、どんぐりの背比べ、的な
そんな部分がちらちらと、見えてきますね~~~ぇ(笑)
ざっくら見てくると
やっぱり、自分はここまで、と自分で決めちゃった
~というのが本当のところ、のような気がします。
さて。
改めて文面で書き出してみると
ふと気がついた、ツッコミ部分があります(笑)
それは
いったいぜんたい、何処から何処までが「成功」、だというのか?
そして、其れには、年齢制限が在ったのか?(スポーツ業界はあるのかもですよネ)
そもそも「成功」とは、何なのか?(爆)
…ということ
いろんな定義として「成功」の定義は、在ると思いますが
大体、こんな処かと。
○金銭的に、生活できる
○他人を、幸せな気持ちにできる
○自分に「満足・達成感」が、できること
年齢制限においては、自分でも
「○歳までに芽生えなかったら駄目だ」なんて妙な思い込みが
当時にあったよなぁ…と思い出して、なんだかとてもビックリ
そういえば、先日にとある番組で放送されたのですが…
ケンタッキーフライドチキンの創設者である、カーネルさんは
なんと、何度も事業を起こし、ある程度大きくなりかけては
その度に天災的やら、人為的な不幸に見舞われ、どん底に落とされ
最後の事業になった、ケンタッキーフライドチキンの立ち上げにおいては
なんと!65歳にして、一念発起し
自分の足で何千件もの営業に廻り、事業を起こしたという、不屈の人
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カーネル物語
http://www.kfc.co.jp/room/story.html
↑このページの最後に締めくくられている言葉に
胸を「ずきゅ~~ん!!」と打たれます!!!!
※↓以下、最後の部分を転記していますデス↓※
他人を家人のように温かく迎え、もてなす。
伝統的なアメリカ南部の人々の親切なもてなしをサザン・ホスピタリティといいます。
カーネルにとってそれは、最善を尽くして嘘のない美味しいものをつくること、
お客様にご満足いただいているか常に耳と心を傾けること、
人を喜ばせることにおいて妥協しないことでした。
また「成功は多くの人と分かち合いたい」と、
ビジネスを共にする人たちの状況に心を砕き、惜しみなく知識・技術を教え続けました。
一方では、少しでも余裕ができると慈善活動を行い、孤児院の子供たちのために
毎日アイスクリームをつくったり、肢体不自由児のための基金をつくったりしました。
人を幸せにする事に引退はない。
「決して引退を考えずにできるだけ働き続けろ」
「人間は働きすぎてだめになるより、休みすぎて錆付きだめになる方がずっと多い」。
その言葉どおり、カーネルは90才で生涯を閉じるまで現役を通 しました。
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うわ~~~~ん!!
カーネルさん、格好良すぎる。。。
さてさて。自分の中の過去の引き出しのいろいろを、見直してみた結果。
○人に云われて、諦めた
○自分で、諦めた
○出来ないと、決めた
○将来性を、見出せなかった
…という否定形は、何の理由にもならんのではないのかなぁ…ということを
自分の中で、ふか~~~~~く、感じ入ります
「好き」なのに、将来性が無いから、と「やらなくなる」という部分に関しては
「そりゃ、どういうこったい!?」的な話で(爆)
(あ、今はそんなじゃないですよ~!これ、過去話ですからネ笑)
自分が出来る「枠」を決めるのは、誰でしょうか?
此処まで、と、「ラインをひいたのは」誰でしょうか?
「出来ない」と決め付けた(もしくは「お前には出来ない」の言葉を受け容れた)のは誰でしょうか?
将来性、だとか
利益にならなければ、だとか
仕事として、出来なければ、だとか
そんな早急な「結論」は、誰がそう、決めたのでしょうか?
自分には「出来ない」ではなく
自分が「してこなかった」ということ。
自分には「能力がない」ではなく
自分を「磨く努力を途中で諦めた」ということ。
今回、このテーマでブログを書いてみるにあたり
そういうことだったんだよなぁ…と、イロイロを振り返り
今までの「仕舞いこんだ「夢」」を、しみじみと、見直しています
スタートは、みんな
「真っ白のキャンパス」からスタートしているんですよね。
もちろん、最初から持っている絵の具や、筆の量や
目の前にある、風景は違うかもしれない。
だけども、その目の前にある「素材」の中で描かれる「風景」は
みんなみんな、平等、なんです。
絵の具が無かったら、道に生えて居る草の汁を代用しても良いし
石や葉っぱを、キャンパスにオブジェとして使うことも出来る。
それは、絵の具を持たないから、こその
自分から産み出し、得られる智恵なわけでしょう?
だから、やっぱりみんな
おんなじ「無垢」からのスタートなんだよなぁ、と想うのです。
あはは
なんだか書きたい続きも、浮かぶのですが
更に長くなりそうなので、「無垢」のお話は
とりあえずここで、一度〆ということに
これを読んでくださった「誰か」が
ご自身の思考の癖へとタッチする
ひとつの手がかりになれば、さいわいです
長々とお付き合い、ありがとうございました
今日も、皆様がキラキラの湧く湧くでありますように