去年あたりから、自分の内側に流れているテーマはこんなカンジの事。


いや、別に死期を悟ったとかそんなわけではなくて。



もう、純粋に


「逢いたいと想ったら、逢いに行く」

「声が聞きたいと感じたら、電話をする」


ほんと、ただそれだけの話しなんだけども。



ただ、ね。


なんだかとても2008年から感じている事は

いつ、逢えなくなるか解からないんだよ~ってこと。


わたし自身、死、というものに対しては

肉体として逢えなくなるだけ、の、ステージアップという想いがあるから。


だけど、その肉体として、逢えない。

その人の、生の声がもう聞けない、というぶぶん。


触れて解かる、暖かさや

身体を感じながら、お互いが笑い逢うってこと。


そういうコミュニケーションが、出来ない、ということは

とてもとても、淋しいことだと感じるのよね。



最近、数年振りにお久し振り、な、再会が続いていて。

あと、元気になってね、と、祈っていた、人との偶然の再会が続いたり。


国を越えた、恋愛のリアルタイムでの駆け引きの話や

家族間での、しがらみの話を聞かせて頂く機会が何度かあって。



今の自分のなかで、想うことや、言えることの中で

現実として、顔を合わせて逢える、ということの奇跡をとても想うんです。





良く、もし今日で世界が終わるとしたら、あなたは何をしますか?

…という質問を、見たり聞いたりするけども



ほんとに、明日逢える保障なんて、どこにもないんだよ。


だから、変な意地を張っているならば

素直になろうよ。


もし、自分で解かっていて、ただ勇気を振り絞れば行動できるのならば

勇気をだすという、勇気を振り絞る気持ちを奮い立たせようよ。



悔いを残すって、良く言うけども。


あの時、ああすれば良かった、というのは

とてもとても、後々までこころに針として刺さっちゃうんだよ?

(自分で刺した針なのだけどもね?)


もし、動いた結果、その時に起こったことが、自分の想うような結果じゃなくても

動いたことによって、見えないけども大きな扉が開かれるんだよ?


悪い結果、と結論づけるのは、「意識」

これがどう転んで化けるのか、と期待するのも「意識」なんだからね?


悪い、と決めるのも、自分。

そこから新しい風を見付けるのも、自分。


…できることならば、悔いを残さない日々を

選べる自分でありたいよね。(もちろんわたし自身も。)


私たちは、常に

より幸せに、より調和な自分へ、より周囲と調和する自分へと

そうなっていくように、ベーシックなところに約束があるのだから。


だから、どんどん、自分のために、そして、関わっていくご縁のために

自分を開いて、開いて、心豊かに、涼やかに、なっていこう、ね(ノ^^)ノラブラブ八(^^ )ノ



ん~~~~~~~~~~~~…


なんだか、誰に伝えるわけでもないのだけど…

こんなことを、とつぜん文章として書きたくなっちゃったので(笑)

よくわかんないけども、心を込めて、書いてみました(笑)



イキオイに任せて書き綴ってみましたが

誰かの何かへの言葉のプレゼントになれたら

それはそれでとても嬉しいですヾ(@^▽^@)ノアップ