保元の乱の戦いに敗れたのち仁和寺に入っておられた崇徳上皇は、

合戦の日から13日目、

讃岐に遷されるという事に処分が決まりました。


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崇徳院 役の井浦 新 さんが撮影を終えてのお参りに来られた所に

鉢合わせになったんです。

 NHK香川で9月21日の放送だそうです。反響があれば、全国版でも放送する?

とのことでした。


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今回宮内省(堺・羽曳野の所管)より

特別な許可が得られたそうです。


この扉を(宮内省の方)が開けて、天皇のみが通る

という、突き当たりまでのアプローチを井浦さんが、

歩き、祈りを捧げているところを、見守っておりました。


NHKのBSのHPにもトークショーが掲載されいますよ。


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この後、撮影クルーの一行が引き上げました。

気になっていたので、何の木かを尋ねたところ、


宮内省の方が

親切にも、

御廟に植えられている木の葉を取って下さいました。


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はがきの木(たらよう)というそうです。

このように、文字が残るのです。


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「よしや君昔の玉の床とてもかゝらむ後は何かはせん」


 西行法師が崇徳院の運命に同情を寄せ、保元の乱の後、仁和寺にお見舞いに行ったが

お会いできなかった・・・その西行が、院の御崩御5年目に白峯のお墓に参ります。

長年の念願であったに違いありません。

 それが院の墓前で詠んだ歌です。

 

・・・上皇様、どんなにか悲憤の思いで世を去られた事でしょう。けれども昔のあの金殿玉楼の生活を

お続けになっていたとしても、つかの間の一生を終えてしまえば、皆同じ事、土の下に入った後は生前の栄華も、配所の辛さも同じ事ではございませんか・・・


異本によれば、西行がこう詠むとお墓が3度ぐらぐらと揺れたとか、墓の下からかすかな声でお返事が聞こえたとか。


お話下さった宮内省の職員の方によりますと、井浦さんは以前から関心を持たれ、資料を読み込み、この地に通い、崇徳院の写真を待ち受け画像されていたりするほどであったそうです。出演のオファーを耳にしたときはそのご縁に感じ入られたそうですよ。


写真の2葉は、井浦さんが、ドラマのクランクイン前に記したものと

今回のお参りの際に残したもの。


周囲の山や海沿いはみかん畑

モノレールが行き渡っています。


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色は悪くても、おいしいのです。


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高松では、これと


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これ!


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透明シートにいれて、切手を貼れば、


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なんと

『はがき』として通用します。


帰りの南海フェリーから

明石海峡大橋を遠くに眺めながら・・・

この本を通して、保元、平治の乱で敗れ、

斬首されたり、流された人々に思いを馳せる

旅でした。

華やかな京を追いやられた上皇の気持ちは

いかばかりか。


計画では、音戸の瀬戸や、厳島、呉、とびしまも駆けめぐる

予定でした。体調を崩し、出発が2日も遅れましたが、元々

最終日は崇徳院の配所先でありました。


「会いたい!」の一心でした。

私なりの思いは届いていたんだと思っています。

もしや、

ドラマの出演者に御姿を変えてお会いして下さった

のでしょうか。


感謝しています。


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たらよう(葉書の葉) に、


何を記そうか。