22) 8月4日の軽食と夕食 | BIG BLUE SKY -around the world-

22) 8月4日の軽食と夕食

第二十二話) 8月4日の軽食と夕食


タイ料理に対して持つ印象を聞くと、決まり事のように辛いという答えが返って来る。
それは調味料の唐辛子への印象であり、料理そのものへの印象とは言い難い。
唐辛子を前景として見ていると、料理そのものは背景となり、前景と背景とが合一したタイ料理を、対象領域として捉えることは難しい。

クローンヘー水上市場 (Khlong Hae Floating Market) の軽食に何を見たか。
同じ物を対象としても、私と ASEAN-T とでは、そこに見出す意味は当然のように違う。

例えば、ココナッツスライスがけパンケーキ。
私は、ココナッツの甘さを前景として、パンケーキを背景として見る。
そして、ココナッツの甘みという、前景の印象を強く持つ。

ASEAN-T の一人は、ココナッツの甘さの向こう側の存在、パンケーキの薄皮や形状を前景として見る。
そして、カリッとした薄皮と複数の稜線を持つ形状とが織り成す食感と、発泡密度の低いパンケーキそのものの味わいへの印象を、強く持つ。



[ココナッツスライスがけパンケーキ/クローンヘー水上市場,ハジャイ,南タイ] (2018)
Pan-cake with coconut slices at Khlong Hae Floating Market/Hat Yai


主観により、背景の主題化、前景と背景との転換が生じる。
それは、カジミール・マレーヴィチのシュプレマティズム作品を見る経験に似ている。
ココナッツスライスとパンケーキの存在を借りて、南タイの事物の前後へと、自身の存在の転換を図る。
見知らぬ土地では、あらゆる未知の物を規定して、理解可能な何かへ転換しようと努める。
次第に、南タイに在りながらも、南タイという世界は存在しないと言う、実在へ近付いて行く。



[中華風 魚の浮き袋の (代用品を使用した) スープ/クローンヘー水上市場,ハジャイ,南タイ] (2018)
Fish Maw Soup at Khlong Hae Floating Market/Hat Yai


水上市場では、無限に多くの意味の場に、多国籍・多文化の人々が存在している。
シュプレマティズムの場で、意味の理解がなされぬまま、人々は前景と背景の転換を繰り返す。

例えば、中華風のスープ。
見た目は全く中華料理の、魚の浮き袋のスープなのだが、屋台舟の廉価版では、豚皮の揚げ物で代用されていた。
ここでは、料理が私たちの意識の前に、廉価版の名の下で、姿を変えて一歩歩み出ている。
理解するためには、私たち自身も歩み出る必要が有る。



[煮玉子・煮豚を乗せた、野菜・白滝の煮込みがけご飯/街の食堂,ハジャイ,南タイ] (2018)
Rice with a Boiled Egg, Pork and Noodles Made from Konnyaku/Hat Yai


対して、街の食堂は、見知らぬ土地から来た者に、とても優しい。
おかずがけご飯は、いつも理解を助けてくれる。
ハジャイ最終夜の夕食では、煮玉子と煮豚,野菜と白滝とが、既に理解可能なものとして合一を果たしていた。

おかずがけご飯に、路地裏のコスモポリタンによる、複数の対象領域の合一を見る。
前景と背景との転換を繰り返すこともない。
街の食堂では、母語と経験が異なる者同士が、理解をともにすることが出来る。


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