私が高校1年生の時(2005年)
出身地の石川県に
ある星稜高校の
サッカー部が
冬の全国大会で
快進撃を
続けていました。
その中で
やたらボールが
集まって上手い選手
がいました
現在の日本代表
「本田圭佑選手」
です。
星稜は初戦で
前年度ベスト4の強豪、
兵庫県の「滝川第二高校」を
破るとその後も
快進撃を続けました
滝川第二の
キャプテンは
現・日本代表の
岡崎慎司選手で
本田選手も
キャプテン、
組み合わせ抽選時には
両選手は握手を交わしました
その後も星稜は
快進撃を続け
ベスト4まで
勝ち上がり
国立競技場の舞台に立ちました
(国立はベスト4まで
勝ち上がったチームのみ立てる)
ベスト4の相手は
千葉県の強豪
市立船橋高校
(通称イチフナ)
との対戦
その試合を
ウィンターキャンプの
合宿先、裏磐梯(福島)のテレビ
から見ていました
(余談ですが私の母校桐蔭学園には
修学旅行がない)
結果はPKの末負けてしまいました
本田選手との出会いはこの時
その星稜高校も
去年はお隣富山県の
富山第一高校の前に
決勝で敗れましたが
今年度は優勝する事が出来ました
関係者の皆さんおめでとうございます!
その本田選手ですが
順調なサッカー人生を送ってきたかというと
そうではありません
ガンバジュニアユース
(中学の部)時代は
足が遅く、長距離を
走る練習では
チームメイトの中で
一番遅かったそうです
同じ生年月日の
家長昭博選手(現J1大宮アルディージャ所属)
の方が将来性があると考えられ
(当時二人は喧嘩ばかり
していたそう)
ガンバユース(高校の部)には
あがれず
帝京高校サッカー部で
活動していた
兄の本田弘幸さんの
「圭佑のプレイスタイルは
星稜高校に向いている」
という助言をもとに
縁もゆかりもない
石川県へサッカー留学したそうです
お兄さんの弘幸さんも
サッカーが上手く
プロの大分トリニータ(J1)に
入団が決まっていたにも
関わらず
怪我の為
入団を諦めたとの事
本田圭佑選手が小学生だった
時の卒業文集には
「兄と一緒にワールドカップ
に出て決勝で
ブラジルを破り
優勝する」
と書いてあります
本田圭佑選手は兄が
果たせなかった夢を
背負ってプレーしているの
かもしれません
本田圭佑選手が
サッカー選手として
有名になったのは
彼の才能もあると思いますが
「絶対に諦めない」という
考え方があったからだと
考えています
彼のドキュメンタリーがこちらです
本田圭佑
「世界一あきらめの悪い男」
(PCからでないと
見れないかもしれません)
http://www.dailymotion.com/video/x11fc1x_20130325pf%E6%9C%AC%E7%94%B01_sport
私は自分が諦めさえ
しなければ
夢は叶うと
彼に教えてもらいました