偏見ということばについて | 池袋駅北口の「ぐんまのやぼう」

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このまま記事を書き続けると妙な方向に行きそうなので自分の頭をちょっと整理してみました。

まず偏見ということばが何を意味するかはたとえばWikipediaにあります。あんまりよくないと思うのですがそのまま引用します。

人間は、ある対象の性質や優位性の有無などを判断するにおいて、対象に関する見かけや所属といった断片的な知識や情報、自らの属する社会、宗教、文化などが有する価値観、あるいは個人の経験則を判断基準として用いる場合がある。これらを実際の性質や実態を無視し、主観的・恣意的に選択された比較的単純な判断基準として用いることで生み出される思考が偏見である。

つまり言葉を変えればこういう具合に言えると思います。

風.俗で働くことについて断片的な知識や情報、自らの属する社会、宗教、文化などが有する価値観、あるいは個人の経験則を判断基準として用いず、風.俗で働くことの実際の性質や実態をありのままに把握し、客観的・網羅的な観点から総合的に判断した結果は偏見ではない。

ここで注意していただきたいのは偏見の有無と風.俗で働くことの是非に関する判断の結果はまったく無関係なことです。

つまり総合的にいろいろな観点から検討した結果風.俗で働くことは人の道に反する行為であると判断したのならそれは偏見ではなく、自分の会った一人の女性だけを見て何も考えずに風.俗で働くことは誰にも恥じない行為であると判断するのならそれは偏見であるというようなことになると思います。

なんだか、風.俗で働く女性を非難することは偏見である、自分は偏見を持たない人間だから風.俗で働く女性を非難しない(できない)、というような方向に考えている方もいらっしゃるのではないかという気がしてきたのでこんなことを考えました(私もその気があったのは反省します)

私は風.俗で働く女性に対する最大の偏見はテレビドラマに出てくる風.俗嬢を見て、風.俗で働くことの是非を考えることだと思います。

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