才能 | R4switchの一番搾り的blog

才能

to--ruです。

私の自宅にある練習用鍵盤は、とある音楽仲間からの借り物でして、タッチがグランドに非常に良く似ていて、音も綺麗で、とても気に入っていたのですが、急遽昨日その音楽仲間に返還することになってしまいました。

なので、その音楽仲間が私の自宅から鍵盤を強制連行するついでに、ちょっと近場のサイゼリアでドリアを食いながら、色々話していました。

彼女はかなり凹みなご様子で、話を聞くと、とある先輩から
「お前は才能が無いから、音楽をやめろ」
と言われてしまったそうです。

うーーーーん。
「才能」ってなんでしょうか?

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一般的な物事のスキルアップは、私が考える限り、以下の3STEPSだと思っています。
STEP①理解力
STEP②吸収力
STEP③応用力
※音楽の場合ですと、③が表現力になりますでしょうか?

もしこの一連がこなせる力量を「才能」とするならば、確かに彼女には「才能」は無いかもしれません。
現時点では、ですが。
彼女とは一緒に何度もライブをしたことがあり、その度にスキルアップしているな、とは思うのですが、③は一向に停滞気味です。本人も自覚しているそうでした。

音楽の場合だと、お客さんとのインターフェースは、まさに③です。
極論、ライブでは③が優れていなければ何も残らないし、③が優れていればほぼ◎です。

ただ、③を鍛え上げるのは、非常に難しいことであるし、恐怖でもあります。
しかし、いくら数あるライブをこなしても、常に③と向き合わなければ成長はほぼ無いといっても良いでしょう。

彼女はそんなもどかしさで、非常に苦しんでいました。
理解はしていても、表現できないというもどかしさです。

③ができなくて、苦しんでいるミュージシャンは多いと思います。
できていないのは③なのに、それに気付かず①②のせいにし続けているミュージシャンは、もっと多いと思います。
逆に③だけが先行しすぎて、苦しんでいるミュージシャンも多いと思います。

ただ、たまに柔軟に③が卓越した人がいますよね。
私の知る限り、そういう人は、音楽だけでなく、全てにおいて③に卓越しています。

その人達は、一般的には深く「自分」という個体を知っている人達と捉えられがちですが、私が思うに、そういう人ほど「対人」関係で得られるものを大事にしている気がします。
他人が何に関心を受けるか、何に魅せられるかを、自分一人のモノサシで他人を分類せず、ライブに留まらず、普段の何気ない会話をも材料に、常にそこへのアプローチを研究している気がします。

そして、そういう人達が見せる③は、非常に奥深く、見る人の心に刻まれます。

、、、そう考えると、やはり「才能」の全ては③なのでしょうか?

「才能」、非常に難しい言葉です。
「才能」のその先が分かりません。
「才能」のベクトルが分かりません。
そもそも、「才能」が無かったら、音楽を止めなければいけないのでしょうか?
それも分かりません。

「才能」が何かも分からないので、自分に「才能」があるかなんて当然分かりません。
しかし、一つ言えるのは、私はもっと③を突き詰めて行きたい、その気持ち一つ強くあります。

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彼女はそんなもどかしさから、終始サイゼリアで涙していました。
けど、しっかり鍵盤は持って帰りました。
涙を流しながらも、私へのご慈悲はありませんでした。
さて、、、今日からどうやって練習しましょ??


【今日の変態】
今日も一人の変態を紹介したいと思います。

■■■ While My Guitar Gently Weeps / THE BEATLES ■■■
performed by ジェイク・シマブクロ



この、③のアドレナリンが出まくりの変態をご堪能下さい。