コロナワクチンはmRNAワクチンと呼ばれているんだから、遺伝子を改変し、ターボ癌を引き起こすのは当然だ。

 

もうひとつ、癌の原因となる物質には、様々な物質があるが、特に重要な物質に放射能

がある。

 

その放射能の危険性を示す動画。若い世代の方々。チャンネル登録を広めてください。

 

広瀬隆の地球千一夜物語チャンネル

 

チャンネル登録をしてください。

 

“スリーマイル島原発事故”によって殺された人たちの被害と、イギリスの“ウィンズケール再処理工場”による広大な海の汚染について

 

https://youtu.be/4XFzySIQi10 1時間8分

 

 

広瀬さんのお話はゆっくりなので、2倍速再生がいいと思います。

 

世界史の事件簿③ロックフェラー財閥の誕生その24

 

原子爆弾の開発から原子力発電へ

 

マンハッタン計画の歴史

アインシュタイン 相対性理論 E=mc²

原資が核分裂をすると、核分裂生成物の質量は、分裂前よりも小さくなる。その結合エネルギーが熱エネルギーになる。それはTNT火薬の2000万倍。

 

高速増殖炉は アメリカはメルトダウン フランスは挫折

 

アイゼンハワー大統領国連演説 アトムズフォーピース 原子力発電の推進

 

その結果世界中に放射能を巻き散らす結果に

 

放射性物質が人体に濃縮しやすい臓器

 

世界で最初の原子力発電所は、ソ連のオブニンスク原子力発電所5000kW

 

アメリカの最初は原子力潜水艦→発電ではなく動力

 

原子力発電を推進したのはロックフェラー財閥→商業用原子力発電1970年

 

加圧水型の原子力発電所 日本では西日本と北海道電力

 

映画『チャイナシンドローム』1979年3月16日公開 その12日後にスリーマイル島原子力発電所が大事故

 

大事故に至る経緯

 

原子力発電所が大事故を起こす確率は、隕石の落下と同じ=安全神話を全世界に信じ込ませた

 

スリーマイル島事故では、3回の水素爆発が起こったが、あと1%の水素で大爆発の直前だったが、アメリカの規制委員会が水素を放出して、かろうじて大事故を食い止めた。

 

当時の新聞記事。

 

地元の住民。金属の味がした。

 

州知事が子どもや妊婦に避難勧告を出したのは3日後。

 

ハリスバーグでは、奇形の植物や住民の白血病や癌の大量発生。

 

ア―モット夫妻とメアリー・オズボーンによる事故から9年後の被害地図。

 

住民の2700件の集団訴訟。電力会社は700件に示談交渉してもみ消した。

 

これがロックフェラー財閥。

 

モルガン財閥のGEは、沸騰水型の原子力発電所をベクテル社が建設して、市民向けの電力供給を開始。

 

フクシマ原子力発電所の4基の原発もGE製。

 

フクシマ原発事故の35年前に、3人のGEの非常に優秀な技術者が危険性を訴えて辞職し、反原発運動へ。

 

この優秀な3人が『チャイナシンドローム』のシナリオを書いたので、公開の12日後にスリーマイル島原発が大事故を起こした。

 

この3人のうちの一人が、福島原発事故の後で謝罪をしてくれたが、この人たちが危険性を訴えてくれていたのだ。こんな誠実な人もいるのだ。

 

大英帝国 イギリスの狂気

 

イギリスは原爆を開発する上で、1950年にウィンズケール原子炉を操業開始。1957年に火災事故を起こして廃炉。52年~57年にかけて、オーストラリアの西部南部で原爆実験。

57年にはクリスマス島で水爆実験。

 

自国で原爆を爆発させないで、オーストラリアにまで出かけていって、アボリジニーの人たちを被曝させて記録映画まで作られた。

 

1956年にはウィンズケールで世界最初の商業用原子力発電所が運転を開始。

 

その翌年に原子力発電所で大火災。

 

これが日本の東海原子力発電所1号基と同じ型。

 

この原子炉の後に建設されたのがウィンズケール再処理工場。

 

 

このウィンズケール再処理工場が、アイリッシュ海に大量の放射能を放出。

 

ヨークシャーテレビが、核の洗濯場というドキュメンタリー番組を放送。

 

地元シースケール村で小児癌の発生は10倍と報道。

 

ウィンズケールはセラフィールドと名前を変えて逃げ延びる。

 

ウィンズケールの放射能の広がり方。

 

1981年には北欧にまで拡散。

 

同じ縮尺で日本を重ねると。

 

放射能汚染が陸にもどってくるメカニズム。

 

1989年9月の週刊誌記事 英国核工場、悲劇の幼児がん多発地帯

 

1990年2月 再処理工場の労働者の子どもに白血病が多発

 

1990年2月22日 デーリーミラー 危険である。赤ん坊をつくるな!

 

1950年に運転を開始した再処理工場が、1990年になっても深刻な被害をもたらしている訳

 

1970年代から魚介類の濃度が下がらなかった。

 

それらは赤ちゃんの危険水準を上回っていた。

 

海は一旦汚染されると、回復するには長期間が必要になる。

 

ここまでわかっていて、六ケ所村の再処理工場を運転していていいのですか。閉鎖しなくていいのですか。