今日ツイッターのやり取りで思ったんだけれど

「ミュート」の心

を持ってない人が多くなってるのかな。

 

 

たとえば「A」という漫画があったとする

「Aって面白いよね」ていうツイートに対して

 

「A面白いよね」

「私もA好き」

 

っていうのはごくごく普通のツイート。

 

「アー私Aはあまり嵌らなかったんだー」

「A面白かった? 私そうでもなかったなー・・・」

 

みたいなのも親しい友人ならあるとおもいます。

 

ただ

 

「A嫌いなんだけど!!!なんでつぶやくの!!!!」

「Aの話聞きたくない私の気持ちも考えてください」

 

って突進してくる人、たまにいるんだけど

私はこれがわからない。

みたくなかったら見なければいいし

そういう意見いうひとなんだーってミュートすればいいとおもうのね。

 

なぜなら

 

あなたがAを嫌いなのと同じように

Aを好きでたまらないって人もいる

 

これは単なる個人の趣味嗜好、考え方の違い。

 

逆に

例えばあなたが

 

「Aが嫌い」

 

ってツイートしたとして

 

「はあ?A嫌いとか目くさってんの?」

「Aの良さがわからないとか脳みそぶっこわれてんな。」

「バカがわからないのに知ったかぶりして呟くな」

 

とか言われたら

 

これだって

個人の趣味嗜好の違い。

 

嫌いなものは嫌いでいいじゃん、て

思う人もいるし嫌いなことを嫌いと言えない世の中ってどうなのよ

とも思う。

 

 

で、

ドッチの場合も

 

「好き」「嫌い」を言う人が悪いのではなくて

反対の意見を押し付けてくる凸テロが問題なのだと

私は思っているのです。

 

 

だって

 

「梅干しきらい」

ってつぶやいて

 

「あんなに体にいいもの嫌いとかいうな!取り消せ」

とか

 

「梅干しすき」

ってつぶやいて

 

「塩分とり過ぎるあんなもの好きだとか体にわるい取り消せ」

とか

 

どっちもどっちだし、

そんくらい個人の好きに呟かせろって思う人が

たぶんほとんどだと思うのね。

 

 

嫌な意見は「ミュート」しちゃえばいい。

気に入らないんだもの「見てやらないぜ!」くらいの気持ちで

「ミュート」してしまったら凸されるよりよっぽど

お互いの気持ちは楽なはず。

 

人間何十億人もいるんだから意見はそれぞれ。

 

自分の意見と違う人は「悪」でも「間違い」でもないです。

 

それは個性。

※もちろん法律にのっとって間違ってることやってる人はだめですけどね。

 

自分と意見が違うからといって

その意見を取り消そうとしたり

無くそうとするのは、自分のエゴだとおもいます。

 

自分と意見が違って、それがいやだな、と思うなら

そっと「ミュート」にする。

 

それをお勧めします。

 

別に「ミュート」にするのは「逃げ」でも「負け」でもないです。

 

心を穏やかにするテクニックだと思ってください。

 

意見を求められていないものに

凸をしたら相手も自分も嫌な思いをします。

 

自分に対して言われているものでないなら

他人のツイートにイラッとしたのなら

「ミュート」「そっとじ※そっと閉じる」をしてください。

 

そしたら世界がちょっとだけ楽しくなるはずです