エッセイ『シャンゼリゼの憂鬱』
女は愛嬌。どんなに謎をつくって追われる女になっても、結局 最後に愛されるのは愛嬌のある女だと思う。ソースは私。 私には愛嬌がない。だから付き合ったことがなくて、男に免疫がなくて、愛嬌もつくれない。負のループだ。 私だって女の子と付き合うなら、というか誰かと付き合うなら、愛嬌のある人がいい。男とか女とか関係なく。だから、「不器用なありのままの私を愛して」なんて言えない。高校のときまでは言ってた自分が恥ずかしいけど。 でも本当は、不器用なありのままの私を誰かに愛してほしい。自分自身ですら愛せない私を、誰かに愛してほしい。だけど愛されないことが分かっているから、話す練習も、笑顔の練習も、メイクもオシャレもするのだ。それでも上手く話せないし、上手く笑えないし、メイクもキマらない。どうすればいいのかが分からない。 愛嬌のある女になれないなら、謎の女になろうと決意したことがある(決意せずとも、話すのが苦手だからロクに自分のことを話せず、結局「謎の多い人」扱いになってしまうのだが…)。その結果、好きな人とよく目が合うようになったり、二人きりで一緒に過ごせたりしたことは何度かある。でも、そこで止まってしまう。やはり最後に選ばれるのは、愛嬌のある素直な女の子だからだ。 ミステリアスな人間が誰かの恋愛のゴールになれることは、きっとない。どんなに異性を惹きつけたとしても、所詮ただの通り道にしかなれない。だから私は、自分を含めたそういう人間を、『シャンゼリゼ』と呼んでいる。多くの人間が寄ってくるけれど、通り道としてしか使われない。有名だけど、誰もそこにとどまろうとはしない。誰の本命にもなれない虚しさを少しでもやわらげるために、自分のダメな部分をパリの美しいシャンゼリゼ通りに喩えるのだ。 (…こんなことをしてるから、ダメなんだろうな…笑) (調べたら、シャンゼリゼ通りは自転車レースのゴールとしても使われてるみたいだけど、そこは「ご愛嬌」ということで…私には愛嬌がないけどねっ。ハハハ) 私には今、好きな人がいる。今はそこそこいい感じになってるけど、こう愛嬌がないままでは、どうせまたダメになる。だから早く愛嬌を身につけなければいけない。早くシャンゼリゼを卒業して、エッフェル塔にでもなりたい。 …シャンゼリゼであるからこそ、つくれる作品もある。以下は私が書いた、『ただそれだけのものたち』という詩だ。晴れただけの青い空遊ばれただけのぬいぐるみ縋るだけの幼い記憶そこにあるだけの廃墟過ぎていくだけの夜輝くだけのネオンサイン捨てられるだけの壊れた車広いだけの世界堰き止めるためだけのダム踏まれるだけのシャンゼリゼ消えるだけの低い声枯れていくだけの草や花回るだけのコーヒーカップ褪せていくだけの写真明けていくだけの夜忘れるだけの思い出たち揺れているだけの汚れた水長いだけの人生堰き止めるためだけのダム踏まれるだけのシャンゼリゼ …ダムのような男と、シャンゼリゼのような女の恋物語を、いつか書いてみたい。多くの女をせきとめるが、誰のことも本気で愛したことのない男と、通り道としてしか使われず、誰のことも本気で愛したことのない女の物語を。(作成日:2025/3/30)