私は、杉下ハヅキ。男の人が苦手だ。嫌いというのではない。むしろ周りの女の子たちより、何倍も男の人が好きだと思う。それゆえに、男の人の前に立つと緊張して、何がなんだか分からなくなってしまうのだ。

 

 さらに、男の人の前で自分を良く見せようとしてしまう癖がある。そのせいで、男の人の前では自分らしく居れず、笑顔も口数も減ってしまい、食事も喉を通らない。それほど男の人を意識していない女の子たちの方が、自分らしさを出していてずっと素敵で、笑顔で男の人と話せていて、食事も楽しんでいる。私はそうした女の子たちを、すごいなあ、と尊敬の目で見つつ、「どうして私はこんなに緊張してるのに、あなたたちはなんにも気にしないでいられるの」と、やっかみのような気持ちも抱いてしまうのだった。

 

 

 

 私はとある大学の一年生で、演劇サークルに所属している。そこで出会ったのが、同じ一年生の渡瀬セイヤくんである。彼は明るく優しく、顔立ちが整っていてスタイルもいいのだが、とんでもない変人で、どこかネジが外れているようなところがあり、星でたとえるなら、火星とか海王星とか、そういった変わり種の星に当てはまるような気がする。

 

 そして私はこの渡瀬くんという男の人を、サークル内で最も強く意識し、苦手としていた。もともと惚れっぽい性格に加え、私はかなりの面食いなのだ。二枚目の彼を意識しないわけにはいかなかった。

 

 とはいえ、自分の感情が恋愛ではないということには気づいていた。ロマンスなんて落ちているものではない、胸の高まりが恋とは限らないということは分かっており、そのあたりは自分でも驚くほど冷静である。が、渡瀬くんの顔が好きなのはまぎれもない事実であり、彼の姿が見えると不自然なほどに避けてしまう。そのせいで、近ごろは渡瀬くんも、私と接しづらそうな様子をしている。誰とでも仲良くなれる渡瀬くんも、自分みたいな暗くて挙動不審な女の前では、こんなふうになってしまうのかと思うと、心底悲しくなる。

 

 

 

 渡瀬くんは、日上ハナさんという二年生の女子と親しい。ハナさんといる渡瀬くんが一番楽しそうで、一番 渡瀬くんらしくいるように思える。二人が一緒にいるところを見るたびに、私はなんとなくつらくなって目を逸らしてしまう。別に恋しているわけでもないのに、こんなにしっかり傷ついてしまうなんて、私はどれだけ欲深くて、ガツガツしていて、性欲の強い気持ち悪い女なんだろう。

 

 そうなのだ。私はたぶん、人一倍 性欲が強いのだ。男の人の中身を好きになるならともかく、顔やスタイルだけ見てドキドキするだなんて、これは性欲だ。みんなは内気な私がガツガツしているだなんて夢にも思わないだろう。我ながら上手く隠してるものだ。

 

 ああ、私、みんなみたいに普通になりたいなあ。

 

 何が普通かは分からない。人によって違うなんてことも分かってる。でも、男の人の前で毎度 不自然なほどギクシャクしてしまうのは、間違いなく普通じゃない。だから私は普通になりたい。

 

 

 

 それから私は、リベンジをしたい。

 

 私は中学生のとき、星野ミナトくんという男子をどうしようもなく好きになり、病んでしまった。ミナトくんがいない人生なんて考えられないのに、ミナトくんはどうしても私を好きになってくれない…すっかり悲劇のヒロイン化とした私は、周りが見えなくなり、深夜にもかかわらず友達に恋愛相談をしたりと、もはや狂ってしまった。

 

 あのころの自分を思い出すと、殴りたくなる。だいたい恋愛って、自分を苦しめたり、他人を振り回したりしてまでするものだろうか? 恋って、もっと、こう…普通のものというか、楽しむものじゃないのだろうか?

 

 今度こそ普通になって、普通の恋をしたい。

 

 それが、私の願いである。

 

 

 

 さて、ところで、私が演劇サークルに入ったのは、実はつい三、四ヶ月前のことである。演劇サークルに入った理由は、もともと芝居に興味があったからとか、退屈で生きている気がしないので刺激が欲しかったからとか、色々ある。でも一番は、何かを続けてみたかったからだ。今までの私は、何かを始めても、すぐに飽きて辞めてしまっていた。今度こそ、そんな自分を変える。同時に興味があることに挑戦し、生を実感する。演劇は私の、人生を賭けたリベンジなのだ。だから私は、サークルに入ってからすぐに台本をもらい、先輩たちと何度も練習を重ねた。そして今日は、初めての本番だった。初めてにしては、そして人前に立つのが苦手にしては、なかなか上手くいった気がする。アドリブも結構入れられたし、なんだかんだで楽しかったし。

 

 数十分後、私と渡瀬くんと、それからポツポツと二、三人くらいが、建物の四階にある控え室にいた。私たち演劇サークルは、いつもだいたい四階の一部屋を控え室とし、五階の一部屋をステージとしているのだ。

 

 と、なぜか渡瀬くんが、こちらに向かってつかつか歩いてくるではないか。

 

 脳がその情報を捉えただけで、あっという間に私の心臓はバクバクと不正確に脈打ってしまう。どうしよう、どうしよう。いつものように何も考えられなくなり、とりあえずかがんで、カバンから水筒を出すふりをして…

 

「ハヅキさん」

 

「え」

 

 顔を上げると、綺麗な顔がこちらを見下ろしていた。渡瀬くん。自分が置かれている状況が分かると、すぐに顔がかあっと熱くなった。ああ私、今どんな顔をしてるんだろう。変な顔してないかな。寝癖とかついてないかな。

 

「ハヅキさん、あのさ、さっきの演技めっちゃ良かったよ」

 

 何を言われたのか一瞬分からなくて、フリーズする。

 

「…え?」

 

「なんか、過去に演劇とかやってたの?」

 

「え、いや、ううん…全然、です」

 

「え、じゃあ初めて?」

 

「はい」

 

「えっ、マジで?」渡瀬くんが目を丸くして、自分の口を押さえる。「初めてであれはすごいよ。俺、初めてステージ立ったとき、緊張してめっちゃ不自然な演技になったもん」

 

「えっ?」声が裏返る。「渡瀬くんが、ですか?」

 

「そうだよ。今でこそ、だいぶ慣れたけど」

 

 渡瀬くんはそう言うと、その美しく整った顔に、穏やかな微笑を浮かべた。

 

「すごいね、ハヅキさん」

 

 あ…これ、褒められてるんだ。今さら気づいて、喜びが波のように押し寄せてくる。

 

 いつものように、「あ、ありがとうござ…」と言いかけて、私はとびきり(のつもり)の笑顔で答えた。

 

「ありがとう!」

 

 すると、渡瀬くんが驚いたように笑って目を逸らした。照れたようにも見える…けど、たぶん勘違いだろう。でも今なら、もうちょっと普通に話せそうだ。私は勇気を出して、口をひらいた。

 

「あ、あの…」

 

「うん?」

 

「渡瀬くんは、いつから演劇やってるの?」

 

「大学入ってからだよ。ハヅキさんと一緒。…あのー、ほら。青木コウ、いるでしょ。あいつにこのサークル誘われて入ったんだ」

 

「へえー、そうだったんだ」

 

 すごい。男の人との他愛もない会話って、こんなに楽しいものだったっけ。ちょっと感動すら覚えている自分がいる。

 

 

 

 それから少しして、渡瀬くんには照明の仕事が入り、ステージのある五階へと行ってしまった。控え室を出ていく前、渡瀬くんは私に笑顔で手を振ってくれた。私も笑顔(のつもり)で手を振り返して、そしてそれが、すごくすごく幸せだった。

 

 その後、渡瀬くんはいつものようにハナさんと楽しくおしゃべりしていた。のに、今日は全然、胸が痛くならなかった。

 

 私、今日、渡瀬くんと初めてちゃんと話したかもな。話せて良かったなあ。

 

 そんな思いばかりが胸にふわふわと浮かんでいたので、つらい気持ちなんて、入り込む隙がなかったのだと思う。

 

 少し前までゴチャゴチャと考えていた余計なことは全て忘れて、心にかかっていた霧が晴れるのを感じた。

 

 

 

 私はやっぱり、普通になりたい。普通の恋をしたい。でも普通になれるかは分からないし、どこまでが憧れでどこからが恋かも、正直分からない。けど。

 

 もし何も分からないままでも、今度は、今度こそは、純粋に渡瀬くんとの時間を楽しみたいな。

 

 跳ねるような心でそう考えて、五階への階段をのぼる渡瀬くんの後ろ姿を思い浮かべた。

 

                                         完