ノエルのソロの成功、リアムの復活劇、そしてオアシスの神がかり的な成功は、いかにして訪れたか。

 

 今回は、それらをロックと絡めて書きたいと思う。

 

 

 

 まず、ノエルはロックの内側、リアムはロックの外側というイメージがある。

 

 もう少し分かりやすく書くと、


ノエルのロックへの認識→音楽
リアムのロックへの認識→人生

 

 実際、2人ともそう言ってるしね。この価値観の違いで喧嘩してたぐらいだから、2人にとってよっぽど大事なことなんだろう。

 

 

 

 この動画の43秒から、「ロックンロールは音楽」と言うノエルに、リアムは「うるせえ」と返す。



 この動画の12分12秒から、ノエルは「音楽のことを話そうぜ!」と言う。ていうか、全体を通してずっとそう言っている。↓

 


 ノエルは、なんか冷めている。どんなに「今夜、俺はロック・スターだ」とか書いても、それが人生そのものだとは思ってない。あくまでも音楽、それがやりたいだけだ、って言ってる気がする。


 一方リアムは、文字通り人生を賭けて「今夜、俺はロック・スターだ」って歌ってる。別に賭けようとかは思ってないんだけど、無意識に賭けてる感じ。ロックは人生そのものだと思っている。


 リアムにとってのロックは、音楽だけじゃない。そこがノエルとの違いで、喧嘩の原因でもある。リアムにとってロックは人生だから、当然ファッションなども含まれる。不良っぽさとか。逮捕されることとか。

 

 


 だから、ロックは音楽だという価値観のノエルは、リアムに怒るんだろうな。ロックは音楽だから、俺たちは音楽をやるんだ。ファッションとしてのロックを追い求めて逮捕されて、音楽ができなくなったら、ロックがやれない。本末転倒じゃないか。みたいな。

 

 一方でリアムは、ファッションも含む人生をロックだと信じて、文字通りすべてをロックに捧げている。それなのに、ノエルに「お前は真面目にロックをやってない」って言われるから、腹を立てちゃうんだろうな。

 

 

 

 ノエルは音楽のロックをやる。リアムは逮捕されてロックを放棄することで、ロックを体現する。そんなリアムの姿は、一般人から見て1番分かりやすいロックの形。

 

 パッと見、リアムの方がロックだけど、実は本当にロックなのはノエルなんじゃないかって。


 ノエルはオアシス時代にロックの内側にいたから、ソロになっても成功した。


 でもリアムはずっと外側にいたから、ソロになると内側(支柱のようなもの)をなくして、ノエルほどは成功できなかったんじゃないかな。

 

 


 近年リアムが持ち直してるのは、ノエルというロックの内側を失って、自分が内側にならざるを得なくなったからだろうな。喉の調子を治して、真面目に歌う。音楽としてのロックをやる。人生やファッションとしてのロックじゃなくて。

 

 そして、自分が内側になったことで、ずっと内側にいたノエルの気持ちが分かるようになったんだと思う。だからノエルに歩み寄ろうとしてるし、再結成もしたがっている。外側に戻って、またロックをやろう(人生を歩もう)としている。

 

 私には、そんなふうに見える。

 

 


 個人的にノエルやリアムのソロはなんか取っ付きにくい気がしてたけど、いま述べてきた理屈に沿えば謎が解ける。ロックの外側がないからだ。暴れたり逮捕されたりする、分かりやすいロック・スター像がないからだ。


 そして、ロックの核心を突く内側のノエルと、ロックを全身で表現する外側のリアムがいたからこそ、オアシスは色んな人に受け入れられて、伝説的なバンドになったんだろうなあ…

 

 


 と、上手い具合に〆れたここら辺で書くのをやめとくw