オアシスは、私がはじめて自分の意思で聴き始めたバンドだ。ビートルズは学校の先生に勧められて知ったけど、オアシスは自分で探して知った。1番最初に聴いたのは、Whateverだった。
オアシスは、私がはじめて全てに反抗したときに聴いていたバンドだ。不登校になったり、かと思えば夜や早朝に家を抜け出したりした、あの不安定な時期に聴いていた。
オアシスは、私がはじめて理屈をごねずに好きになれた趣味だ。それまでは、いつも「私がこれを好きになったのは〇〇が〇〇で、これが幼少期の私に影響を与えているからだ…」など理由づけをしないと、落ち着いて好きでいられなかった。ところがオアシスを好きになった理由を考えようとしても、「曲がよくて、それが私に合ってるから」しか出てこない。いつもなら落ち着かなくて、曲がいい理由だの、私に合ってる理由だのを無理やり作り上げるのだが、オアシスの場合は違った。なぜか、「好きだから好きなんだ」という熱い気持ちだけで納得できた。
オアシスは、私がはじめて本気になったときに聴いていたバンドだ。私はオアシスを聴いて受験を乗り越えた。成績はクラスで1番悪かったけど、AOだから関係ナシ。オアシスからもらった情熱だのバイブスだのを受験にぶつけて、その勢いで突破した感じだ。一般ならこうはいかなかっただろう。AOだからこそ、オアシスのノリは私の挑戦を成功させた。
オアシスは、はじめて自分の意思でスタジオアルバムをコンプリートし、その曲を全て聴いたバンドだ。それまでは、両親の持っているアルバム(誰のアルバムなのかも知らなかった)をなんとなく聴き流したり、バンドにハマってもすぐに飽きてアルバムを集められなかったり、曲を全て聴く前に挫折したり、そんなのばっかりだった。オアシスは、消極的で飽きっぽい私がはじめてまともに全てを集めたバンドなのだ。
オアシスを聴いて、はじめて「今を生きたい」と思った。オアシスを聴いて、はじめて「自分の力で成功したい」と思った。
このように、オアシスが「はじめて」の体験になったことはたくさんあるが、2つだけ、オアシスが「終わり」を示すものがあった。
それは、「ロックン・ロール」と、「私の子供時代」だ。
オアシスは、間違いなくロック・シーンの最後のヒーローだ。これから先、どれだけいいロック・ナンバーが出てきても、オアシスになることはできない。きっと、メロディが劣っているからではない。時代がもう、ロックン・ロールを必要としていないからだ。
そして、オアシスは間違いなく、私の子供時代の最後のヒーローでもある。色々なものが私を支えてくれたが、子供時代の最後の私を支えてくれたのはオアシスだった。きっと、若さやらノリやらに任せて熱中できるのは、オアシスが最後だ。
だから私は、なんだか複雑な気分だ。私にとって色々なものの「はじめて」の象徴であるオアシスが、私の大好きな2つのものの「終わり」の象徴でもある…まるで、夏休みの最終日に独りで眺める線香花火みたいだ。とても華やかで美しいけれど、同時にとても寂しくて切ない。