今年ももう終わりますね^ ^
今回は、小説「クリムルーレの花」の続編「キャンコロトンの森」の第11章です。
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第11章 珍事(後編)
タットとアンダリがキャンコロトン家の屋根上でお喋りしていたとき、シャウィーとフィーダはクリムルーレ家にいた。
その日、ケットは仕事に出かけており、ラチルドは隣町の友人の家へ遊びに行っていたので、シャウィーとフィーダはふたりきりで家の中にいた。シャウィーは一階のリビングで大量の幾何の課題を片付けており、フィーダは退屈そうに家中をぶらぶらしていた。
いつもなら、アルバイト先の花屋か、ベル・フラワーフィールドか、自分の部屋にしか身を置かないフィーダだが、この日はたまたまアルバイトのシフトが入っておらず、おまけにサリースペンスには雨が降っていたので、花屋や花畑には居れなかった。
その上、彼女の部屋にクモが出たのだ。目を凝らさないと見えないような、小さな小さなクモなのだが、クモが大嫌いなフィーダは発狂し、先ほど涙目になりながら一階へ駆け下りてきたのである。彼女が不機嫌だったことは、言うまでもない。
そんなわけで、水と油のようなふたりが、同じ空間で過ごすことになったのである。
互いを心底嫌いなふたりが話すことなど滅多にないのだが、この日はやむを得ず、シャウィーがフィーダに話しかけた。
「なあ、女。この問題、教えてくれ。俺にはどうしても分からん。」
「嫌よ。私、生物しか分かんないし。自分でどうにかしなさいよ。」
フィーダの傲慢な言い方に、シャウィーはかちんときた。イスに座っていたシャウィーは、勢いよく立ち上がって、フィーダに指をさした。
「おい、女。その性格の悪さ、いい加減になんとかしろよ。そんなの許してくれるのタットだけだぞ、このくそ女。」
「いいわよ。」フィーダは腕を組み、鼻で笑って答えた。「私はタットにさえ愛されてればいいのよ。他になんにもいらないわ。」
シャウィーは舌打ちをしてフィーダをにらんだ。たいへん気が短いのである。
「あのなあ、いつまでもそんな態度だったら、タットもいつかお前を見捨てるぜ!」
その一言に、フィーダの目が見開かれた。シャウィーは、しめたと思った。
「タットが、私を見捨てる?」
「ああ、そうさ。どんな優しい人間も、お前みたいに性格が悪いくそみたいな女、いつか絶対に嫌になって捨てるんだよ。」
「うるさい!」
フィーダは突然怒鳴ったかと思うと、近くにあったクッションをシャウィーに投げつけた。シャウィーは驚いて身を避けたので、クッションは壁に当たってぽとんと落ちた。
「あんたみたいなくそ男に言われなくったって、そんなこととっくに分かってるのよ! いつか必ず、みんな私を捨てるわ。
でも、タットは違うの。『みんな』の中に、タットは入ってないの。タットはタットだもん。私のタットだもん。私を愛してくれた、あんなにも優しい人だから、あの人は絶対に私を嫌いにならないわ。それだけは自信があるの。」
フィーダの、そのあまりにも正直な言葉と、素直な青い瞳に、シャウィーは初めて虜にされかけた。しかし、ハッと我に帰り、下がりかけていた眉を再び吊り上げた。
「馬鹿みたいなことばっかり言いやがって! タットがお前をいつまでも愛する? 根拠はあるのか?」
「言ったでしょ。」フィーダは、冷たい目でシャウィーをにらんだ。「タットはタットだからって。」
シャウィーはため息をついた。この女にはついていけない、と思った。しかし同時に、そこまでタットを信じて愛するフィーダに、少しばかり魅力を感じていた。
「ときどき、なんの条件も持たずに、誰かを心から信じたくなるのよ。」
フィーダの言葉に、シャウィーはアンダリの笑顔を思い出した。そうすると、少し気持ちが和らぎ、いつもよりも素直に思ったことを言える気がした。
「…まあ、分からなくはないけどよ。」
フィーダは、驚いてシャウィーを見た。シャウィー自身も、フィーダを肯定した自分に驚いていた。その間にも、シャウィーは自分の言いたいことをどんどん喋っていた。
「俺もさ、アンダリを信じたいんだよ、くそ女。俺は人間なんか嫌いなんだけど、あの子だけは信じてるんだよ。他の奴らは全員、社会に媚びへつらってる、くそみたいな人間に見える。
でもアンダリだけは違うんだぜ。目が違うんだ。あの目を見りゃあ分かる。ほんとにいい人間なんだぜ。」
「…今あの女のこと喋るって、どうなのよ。全く関係ないじゃない。」フィーダは顔をしかめたが、それはすぐに崩れた。「まあ、分かんなくもないけど。あの子、いい人間だものね。それは分かるのよ。分かるからこそいらいらするし、嫌いなんだけど。」
「俺もあるよ。」シャウィーは言った。「アンダリに対してじゃないぜ。タットに対してだ。いい奴すぎて、ときどき、いらいらするんだよな。自分と違いすぎて。」
「私だってそうよ。アンダリは、あんまり自分と違いすぎるわ。」
フィーダはうつむいてそう言うと、今度は顔を上げた。
「…あんた、さっき、こう言ったわね。『他の奴らは全員、社会に媚びへつらってる、くそみたいな人間に見える』。
私もずうっと前から、全く同じこと考えてたの。こんな汚い世界で生きてくなら、さっさと死んだ方がましだわ。まあ、タットがいるから生きてるんだけど。」
「おう、お前、意外に話の分かる奴だな。」シャウィーは嬉しそうに言った。「今まで、分かってくれる奴なんかいなかったんだけどな。お前がひねくれてるだけだ、その性格を直せ、って。」
「私もよく教師に言われる。もううんざりよ、あんなくそ教師。」フィーダも、どことなく嬉しそうで、楽しそうだった。「社会にいる大人なんて、くだらない人間ばっかりよ。」
「そう、そう。」シャウィーはうなずいた。
ふたりは、互いに驚いていた。まさかこれほど分かり合えるとは思っていなかった。もう少し早く話してみれば良かった、と思っている自分がいることは、認めざるを得なかった。
ふたりはなんとなく恥ずかしくなって、咳ばらいをした。それがたまたま同時だったので、余計に気まずくなった。シャウィーは頭をかき、フィーダは頭のリボンの形を整えた。
「…あんた、私が思ってた人間と違うわ。」
今度は、フィーダからそう言った。
「どういう意味だよ。」
「だから、私が思ってたような人間じゃなかったのよ。分かるでしょ。」
「俺だってそうだよ、ばーか。」
シャウィーは舌を出して、親指を下に向けた。フィーダはむかっときて、中指を上に向けた。
「なによ、くそ男! 自分の方が頭がいいみたいに!」
「そんなこと言ってねえだろ。」
「言ってるのと同じよ。」
ふたりは、互いに眉を吊り上げてにらみ合った。いつもと同じような光景だったが、全く同じではなかった。いつもはぴりぴりと張り詰めている空気が、今日も張り詰めていることには変わりないが、その中に、妙なかたちに歪んだ絆があったのだ。
シャウィーはお喋りをやめて、再び課題に取り組み始めたが、すぐに音を上げた。
「ああ、分かんねえ。課題なんて面倒くせえなあ。あのくそババア、覚えてろよ。」
「くそババアって教師のこと? それともラチルドさんのこと?」
「どっちもだよ。でも今は、母親のことを言った。」
フィーダは少し考えて、また尋ねた。
「あんたって、ラチルドさんのこと嫌いなの?」
「答える必要あるか?」シャウィーは顔をしかめた。「嫌いに決まってんだろ。課題ごときで連れ戻すところも嫌いだし、差別ばっかりしやがるところも嫌いだし、全部嫌いだ。」
「差別?」フィーダは、間髪入れず聞き返した。「そんなことするの?」
「差別って言っても、男女差別とか、人種差別とか、そんなでかいくくりじゃねえけどな。家庭内での差別だよ。」
「なに? タットとあんたの差別ってこと?」
「そうだ。俺だけ不当な扱いを受けてたのさ。」
フィーダは怪訝そうな顔で、シャウィーの顔をのぞき込んだ。
「不当? あんただけ殴られたり蹴られたりしてたの?」
「いや、別に身体的に虐待されたりなんかはしてねえよ…そのう、お前みたいに…な。
ただ、母親は俺よりタットの方が可愛いみたいでさ、ガキの頃とか、俺とタットが泣いてたら、俺はよく放ったらかしにされてたな。タットのことは抱っこして、あやしてあげるんだけどさ。」
「そうなの?」
「ああ。赤ん坊の頃、タットはあんまり泣かない奴で、俺はしょっちゅう泣いてかんしゃく起こす奴だったらしい。家庭でカーストできるのも当然だな。」
シャウィーはそう言って笑ったが、フィーダは笑えなかった。少しあわれむような目で、シャウィーを見ている。
「なんだ? お前、まさか俺を可哀想なんて思ってるんじゃねえだろな。思ってるなら今すぐやめろよ。同情されるのは好きじゃねえ。それに、今はもう十七の男だぜ。」
「思ってないわよ、馬鹿。」
フィーダは心からそう言った。私はこの口の悪い男に同情しかけていた、と、フィーダは焦った。あー、同情しなくて良かった。
「俺は父親のが好きだったなあ。」シャウィーのお喋りは止まらなかった。「いや、今も父親のが好きだ。ほんとにいい父親だった。
母親が俺を放ったらかしてる間、父親は俺を一生懸命なだめて、釣りやらなんやらに連れていってくれたんだ。最初は母親のがいいって泣いてたけど、すぐに父親の方が好きになったな。
俺に釣り用具を持たせてくれて、『よっ、世界一の漁師!』なんて言うんだぜ。俺が湖に落っこちないように見守ってくれてさ、魚が全然釣れなくて泣いたときは、笑いながら、自分の釣った魚を全部くれたんだ。パパはほんとに優しくて、いい男なんだぜ。あーあ、また会いてえなあ。」
シャウィーの父親の自慢のあと、フィーダは、
「…あんた、そういうところ、あったのね。」
と言った。
「なんだよ、そういうところって。」
「ほら、なんか、こう…そういうところよ。分かるでしょ!」
「分かんねえよ!」
ふたりは声を荒らげた。ああ、一緒にいると、ほんとうにいらいらする。だが、そんな感情が今は心地良かった。
「じゃあ、タットはパパと全然過ごさなかったのね。」
「いや、そんなことねえよ。」シャウィーはフィーダのつぶやきを否定した。「母親はタットにしかかまってなかったけど、父親は俺たち兄弟、どっちも可愛がってくれたんだ。
でも、タットが母親の方が好きでさ。パパが抱っこしてくれてるのに、ママの方がいいって泣いてさ、パパは笑いながらママにタットを預けてたけど、悲しかっただろうな。まあ、そのぶん俺はパパに甘えられるから、嬉しかったんだけど。
ああ、駄目だなあ。ついつい喋りすぎちまう。」
「いいのよ、別に喋りすぎても。」フィーダは、つっけんどんな態度で言ったが、言葉は柔らかかった。「今まで、あんたと全然話してなかったから、少しくらいは聞いてやるわ。」
「俺も少しくらいは聞いてやるよ、お喋り野郎。」
「結構よ。あんたなんかに話すことがあるわけないでしょ。」
シャウィーは顔をしかめた。
「お前、ほんとに性格悪いなあ。」
「あんたもでしょ。」
「ま、そりゃそうだ。」
それ以降、ふたりは一言も喋らなかった。言葉も笑顔も温かさもなかったが、妙な幸せと充実感があった。それはふたりとも同じだった。
どうやらふたりは、水と砂糖とまでは言えないが、少なくとも水と油ではなかったようだ。
とにもかくにも、そんな奇妙な夜はばらばらと過ぎていった。
〜第12章へ続く〜