あすなろまどかです。
以前、ワンピースの映画を観に行きました。
正直、行くかとても迷いました。約1ヶ月前に映画館で観た『エルヴィス』の感動を、ワンピースでかき消されはしないかと、不安でたまらなかったのです。でも、それと同じくらい、ワンピースを観たくてたまりませんでした。だから行きました。
…「エルヴィスの感動をワンピースでかき消す」なんて書くと、とても言い方が悪いですね。
ワンピースが嫌いなんじゃないんです。というか、むしろ好きです。
だけど、あの夏の夜の、暗いガラ空きの映画館で…そのときにしか感じられない、青春の一片とも言える特別な時間を、私は幾人かのエルヴィスファンとともに、だけどたった独りで、心も魂も燃やしながら過ごしたのです。
そんな貴重な体験をさせてくれた映画館を、エルヴィスを観るためだけの思い出の場所として、いつまでも心に留めておかなければ、それはエルヴィスに対しての大きな罪になるのではないか。私が真に言いたいのは、そんなことなのです。
しかし、こうも考えました。
映画館では素敵な映画がいくつもいくつも上映されますが、その全てが、いつかは上映を終えるのです。上映が終わった次の日から、チケット売り場には、もうその作品のタイトルはないのです。
映画館は、私にとって幸福の桃源郷ですが、それと同時に、現実と時の流れを冷たく突きつけてくる地獄でもあります。
全ての作品が、いつかは風のように飛び去ってゆくというのなら…エルヴィスという1つの作品だけの思い出の場所をつくるために、他の青春を全て切り捨てるのは、高校生の私にとってあまりに酷ではないか、と思ったのです。
それに、もしも映画館を「エルヴィスの思い出の場所」と確定してしまえば、私は一生、エルヴィスが上映されていたシアターに閉じ込められてしまうような気がしました。
私は確かに映画館が大好きですが、それは、映画館が私を非日常へといざなう運命の騎士だからです。ずっと映画館に閉じ込められることが幸せではないのです。
それに、私は映画館の外の広い世界、時には映画よりも映画らしい場面が繰り広げれられている、現実世界でも生きなければなりません。
何だか、変に冷静というか客観的というか、透明な箱の中に閉じ込められている自分を、自分で上から眺めているような、妙な感覚でした。
そのあとも色々と考えてから、私は映画館でワンピースを観ることを選択したのです。
上映直前まで、自分の選択が果たして正しかったのか、そもそも映画を観るだけでこんなに色々考えるなんてバカバカしいんじゃないか、などと考えて、でもこれから始まる物語が楽しみになり、期待が膨らんで、足が震えてちっとも落ち着きませんでした。
そして、映画が始まって数分もすると、自分の選択はやはり正しかったのだとしみじみ感じながら、ワンピースの世界、尾田栄一郎先生が作り上げた世界に、ズルズルと引きずり込まれていったのでした。
やがて映画が終わり、私はバカみたいにポカンと口を開けたまま、のっそりと立ち上がりました。物語に呑み込まれてしまったため、一度も口にしなかったウーロン茶を、静かに手に取ります。物語の余韻が心に尾を引く中、私は毎度のごとく、後ろ髪を引かれる思いで、そのシアターを出たのでした。
シアターを出ると、一緒に観ていた妹とともに、私は映画館をあとにしようとしました。
しかし、私は立ち止まらずにはいられませんでした。あの日、エルヴィスを観た私の心が、ようやく今の私の体に帰ってきたのです。そのため、私はワンピースの余韻に浸りながら、同時にエルヴィスの余韻に浸るという、非常に摩訶不思議な状況に陥ってしまいました。エルヴィスはもう、この映画館にはいないのに。
私はたまらず泣きそうになって、1ヶ月前までエルヴィスが上映されていたシアターに、あるいは、今までワンピースが上映されていたシアターに、引き返したくなりました。しかし、引き返したところで、この切なさが消えるわけがありません。私は「シアターに戻りたい」のではなく、「映画を観ていたときの、もう戻れない自分に戻りたい」からです。そうすれば、ずっとずっと夢を見ていられるから。さっき書いたように、シアターに閉じ込められてしまえば、それは幸せではなくなってしまうけれど。幸せじゃない夢なんて、この世にあふれ返ってるじゃありませんか。
それはともかく、エルヴィスを観ていたあの頃の私の心が、やっと帰ってきたのです。優しくそっと抱きしめて、「お帰り」と言ってあげるべき相手なので、そうしました。
そして私は、「甘いけれど、幸せでない夢」よりも、「苦いけれど、幸せな現実」を選択しました。
ワンピースを夢中で観ていた私の心は、まだそのシアターに置き去りにされたままです。その心には悪いけれど、少なくともあと1ヶ月間は、そこで心細く生きてもらわねばなりません。
でも、大丈夫。ずっとそのままじゃない。いつか迎えに行くから。いつか、また別の映画を観に来たときに、きっと迎えに行くから。
私はそれを繰り返すので、心が映画館から離れることがないのです。
映画に狂わされた1人の少女は、妹の小さな手を握り、映画館を出てゆきました。