こんにちは、あすなろまどかです。
今回は、ポールとシンシアについて少し書きたいと思います。
まずは、シンシア・レノンの説明を簡単に。
シンシア・レノン(旧名シンシア・パウエル、通称シン)は、ビートルズのリーダーであるジョン・レノンの最初の奥さん。ジョンと同じイギリス出身の、可愛らしい女の人です。
ジョンとは同じ大学(リヴァプール・カレッジ・オブ・アート)で出逢い、恋人同士になりました。大学卒業後、2人の間に息子ジュリアンが産まれたことがきっかけで夫婦になり、シンシア・パウエルはシンシア・レノンとなりました。
ジョンの奥さんとしては、日本人で前衛芸術家のオノ・ヨーコの方が有名ですが、実はその前にシンシアがいたのです。
彼女シンシアがジョンと別れた理由は、ジョンとヨーコの不倫です。当時ヨーコの側にも旦那さんや娘さんがいたのですが、かまわずジョンとヨーコは夫婦となりました。(メチャクチャだ!)
さて、ジョンとヨーコは愛しい人と結ばれてよかったかもしれませんが、問題はシンシアです。
言い方は悪いですが、ハッキリ言って彼女はジョンに捨てられたのです。
シンシアは絵に描いたような良妻賢母で、忙しいジョンのことを献身的に支えていました。加えて美しい彼女は、多くの男性にとっての理想像だと思います。ところがジョンは、刺激が弱いシンシアでは満足できなかったんですね。
しかしいくら刺激が弱いと言っても、これではあまりにシンシアが不憫です。彼女とジョンの息子、ジュリアンも。
そんな忘れられた親子を、ただ1人見捨てなかった人物がいました。そう、ポール・マッカートニーです。
彼はジョンとシンシアが離婚する前から、よくレノン家を訪ねてジュリアンと遊んであげていたそうです。まるでそれを裏付けるかのように、幼いジュリアンが写っている写真の中には、ジョンではなく、よくポールが一緒にいます。
↑若き日のポールと幼き日のジュリアン。まるで本物の親子のようです。
後ろにボンヤリと写っているメガネの男性はジョンでしょう。
↑左から、ジェーン(ポールの婚約者)、シンシア、ポール、ジュリアン、ジョン。実の父親のジョンには目もくれず、ジュリアンはポールと仲良く手を繋いでいます笑
しかし、普通では考えられない異様な光景ですね笑
このように、ポールとレノン家は非常に仲がいいのです。
ジョンとシンシアが離婚してからも、ポールの面倒見のよさと優しさは消えませんでした。
離婚後、ただ1人シンシアを訪ねに行ったポール。以前と変わらずシンシアに友好的に接し、ジュリアンと遊んであげたそうです。
ポールの優しさはここからです。彼は失意の2人を少しでも励ますために、シンシアにはバラを、ジュリアンには名曲「Hey Jude」を贈りました。
さらにポールはシンシアにバラを渡すとき、こんなジョークも添えたそうです。
「シン、僕と君で結婚するのはどう?」
シンシアもこの言葉がポールの励ましと優しさだと察し、笑いました。
そして、本当にそんな発表をしたら世間は驚くだろう、という話になり、2人で笑ったそうです。
なんて美しい話なんだろう…ポールの人のよさ全開ですね。
ちなみにこの話は、シンシア著「A TWIST OF LENNON(邦題:素顔のジョン・レノン)」にも掲載されています。
ただね、私はこの美談で1つだけ、引っかかるところがあるんですよ。
それは、「結婚するのはどう?」が、ジョークとして世間に広まっていることです。
「なんで!?シンシアも「すぐにジョークだと分かった」みたいなこと言ってたけど、もしかしたら本気だったかもしれないじゃん!」
と、ひねくれた私なんかは思ってしまったわけです。
「さっき書いてたじゃん。ポールにはジェーンっていう婚約者がいた、って。」
「逆に、なんでジョークだと受け入れられないの?」
そんな声があるでしょう。
しかし、ちょっと待ってください!それらに対しての返答も、ちゃんとあります!
確かにポールには、当時ジェーン・アッシャーという婚約者がいましたが、なんとジェーンから婚約破棄されています。(ちなみに理由は、ポールの浮気グセ笑)
それからジョークだと受け入れられない理由は、シンシアはポールのタイプの女性だと思うからです。(こればっかりは、ポールに聞かないと分かりませんが。)
私の推測ですが、ポールのタイプの女性は金髪美人だと思われます。結婚に至らなかったジェーンは目も覚めるような赤毛でしたが、その後、妻となったリンダ・イーストマンもヘザー・ミルズも金髪でした。
↑ポールの婚約者、ジェーン・アッシャー。結婚には至りませんでした。
↑ポールの最初の奥さん、リンダ・イーストマン。写真家として活躍していました。
↑ポールの2番目の奥さん、ヘザー・ミルズ。リンダは1998年に、癌のため他界しました。
金髪のシンシアは、ポールの目に魅力的に映らなかったのか?と疑問を感じてしまいます。(まあ実は染めていて、地毛は黒に近い色なのですが…。)
↑シンシア。笑顔が可愛らしい女性です。
しかし髪色という外見だけで、「ポールがシンシアを好きにならなかったのはおかしい」と判断するのは、あまりに軽率と言えるでしょう。
しかしそれだけではなく、のちにポールが愛した彼の妻リンダと、シンシアの性格はそっくりなんです。
(ポールはおそらく、家庭的な女性(リンダやシンシア)を求めていました。
ジェーンはどちらかと言えば、仕事や自分を大切にする、意志の強い女性でした。)
シンシアはジョンと別れたばかり。
その年に、実はポールもジェーンと別れたばかりで、リンダと結婚するまでには「間」が空いています。その「間」に、ポールとシンシアが結婚してもおかしくない気がするのに…。
(ジョンとシンシアの離婚は1968年11月8日、
ポールとジェーンの別れは1968年7月20日、
ポールとリンダの結婚は1969年3月12日。)
…と、ここで私は重大なことに気付いてしまいました。
私はいままで、ポールとリンダの出逢いを頭に入れていなかったのです。
そう、結婚したのは1969年3月12日ですが、もちろん出逢ったのはその日でないはずです。それをすっかり忘れていたのです^^;
ポールがリンダと出逢ったのは1967年3月(日にちまでは分かりませんでした。)、このときポールはまだジェーンと婚約中です。
そしてポールがジェーンと別れて、リンダと同棲を始めたのは1968年10月(日にちまでは分かりませんでした。)。シンシアがジョンと離婚した1968年11月8日には、ポールはすでにリンダとの愛を築いていたのでした。
なあんだ、せっかくここまで調べてきたのに…と気落ちしてしまいましたが、これまでの努力をムダにする気はありません!
というわけで次回は、この記事の続きとして、「ポール・マッカートニーはリンダと出逢わなければ、シンシアと結婚していたのか?」を書かせていただきます!
というわけで、次回に続きます。
<参考文献>
・「A TWIST OF LENNON(邦題:素顔のジョン・レノン)」(著:シンシア・レノン、訳:江口大行、出版社:シンコーミュージック・エンタテイメント、発行年:1981年)
・「KAWADE夢ムック 増補新版 ポール・マッカートニー」(出版社:河出書房新社、発行年:2011年)