こんにちは、あすなろまどかです。

 すみません、その二を書くのをすっかり忘れてましたw最近はとても忙しく、ブログを書いてもその内容は詩ばかりでしたから。

 

 では、「3」から行きましょう。このブログに最初にたどり着いた人は、先に「私がレトロを推すワケ その一」をお読みください。

 

 

 

3 絶対に手が届かないから

 これが、私がレトロを推す(レトロを好きな)理由の3つ目です。

 古いものというのは、どれだけ手を伸ばそうと絶対につかめません。

 

 例えば、あなたが古い音楽を好きになったとしましょう。そう…モーツァルトやベートーベンなどの作曲者が既に亡くなっている、そんな音楽です。

 あなたはモーツァルトの大ファンになり、その演奏を生で聴いてみたくなりました。しかし、今(この令和の時代)それができるでしょうか?答えはNOですね。モーツァルトはいないんですから。

 そのなんとも言えない切なさと儚さがいいんです。その負の感情を埋めるように、さらに狂ったようにモーツァルトの音楽を聴きまくるんです(私は別にモーツァルト好きじゃないけど。)。

 

 他の人がどうかは知りませんが、私はそんな感じです。私の場合、上の説明のモーツァルトが、ジョン・レノンや、ジョージ・ハリスンや、ないしは山田康雄さんに変わります。

 

 …ジョンは撃たれたんだ。ジョンは死んだんだ。どれだけライブを見に行きたくても、それは絶対に叶わない。絶対に手は届かない。だってジョンは昔の人なんだから…てな感じでチョット凹みます。それを埋めるために、イマジンやらジュリアやらを聴きまくるわけです(別にそれで負の感情が埋まるはずはない…それでもジョンの曲を聴いているときだけは、「まだ生きている」ジョンを耳元に感じられるから。)。

 

 今はジョンに例えましたが、ジョージでも山田さんでも同じことです。もちろんその他の大事な故人だって。

 

 暗く、かつ読みづらい文章になってしまいましたwだけどこれが、今の私の本気の文章です。

 

 

 

 さて、今回はこれでおしまいです。思ってたよりは、長くなったかな?

 レトロには魅力がいっぱいです!みなさんも、ぜひ一度は古いものに触れてみてください!

 ありがとうございました。それでは、さようなら!