「世界の王」、王貞治氏が胃に腫瘍ができたため、上京し入院した。
王氏といえば、ホークスを弱小球団から常勝球団に育て上げ、
最近では初代WBCの優勝監督に輝いたことが記憶に新しい。
選手としても、本塁打世界記録、三冠王二回などの個人記録に加え、
巨人のV9に貢献した。当時同僚だった長嶋茂雄氏と共に、
日本の高度経済成長を支える国民の希望の星的な存在となり、
経済大国日本を創った原動力の一翼を担った、と言っても過言ではない。
しかし王氏の選手時代、監督時代は、ずっと華やかだったわけではない。
選手としては早稲田実業から巨人へ入団。
当初、投手として入団するもすぐに打者に転向したが、
鳴かず飛ばずの成績で、「三振王」という不名誉な野次にさらされた。
そんな状況を打開したのが、有名な「一本足打法」である。
荒川コーチの指導と、ひたむきな練習で習得、才能を開花させた。
その後の活躍はご存知の通りである。
そして、選手時代同様、監督としても最初は振るわなかった。
最初に巨人の監督を務めた時も、一回リーグ優勝を成し遂げるも、
結局監督として巨人を日本一に導くことなく、5年で退団。
ホークス監督としても、当初は成績不振で怒ったファンに
バスに卵を投げつけられる始末であった。しかし、そんな逆境にも
めげることなくチームを育て、1998年に3位に入ると、1999年に
は自身、福岡ダイエーとして初の日本一に輝く。
「長嶋茂雄は記憶の人、王貞治は記録の人」と言われるように、
長嶋氏に選手としても、監督としても影に隠れる存在ではあるが、
「世界の王」は、世界中から尊敬を集め、メジャーリーガーなどの
外国人には長嶋氏よりもSadaharu OHのほうが有名である。
人一倍真面目で、努力の人であるがゆえに、苦労も多いのだろう。
また元気な姿をグラウンドの上で見たいが、
もう十分日本国民は王氏に夢を見させていただいたし、
世界の王としての重責は十分すぎるほど果たしたので、
その重責を下ろして、今後は一人の人間としての王氏として、
自分の望む通りの人生を歩んでほしい。